カテゴリー「社会と平和」の41件の記事

2015.08.31

自分達で解決しようとする人間を、翼の陰に

 本校では、2千人ちょっと入る礼拝堂で、毎日授業の前に、中高約1600人が一堂に集って、礼拝を守ります男子校で1600名ほどの男子が集まる様子は、初めて見る方は驚くかもしれません。
 クリスチャンである私は、年に数度、担当として、することがあります。
 聖書の箇所は通読なので、子どもの頃からの日曜礼拝等で何度も聞いたことがあって、生徒に話しやすい箇所のこともあれば、「これは何を話せばいいんだ?」と悩む難解な箇所もあります。

 今回も、やや難解な箇所だと思い、色々調べ、当番の日の未明に原稿を作成したのですが、夏休み中の各部の大活躍で、表彰するのに時間がかかる関係で、お話を省略してお祈りだけになりました。
 ということで、折角頑張って作成したのにボツとなった原稿をUPすることにしました(^-^ゞ

=====
マタイによる福音書23章37節~24章2節

「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。見よ、お前たちの家は見捨てられて荒れ果てる。言っておくが、お前たちは、『主の名によって来られる方に、祝福があるように』と言うときまで、今から後、決してわたしを見ることがない。」
イエスが神殿の境内を出て行かれると、弟子たちが近寄って来て、イエスに神殿の建物を指さした。そこで、イエスは言われた。「これらすべての物を見ないのか。はっきり言っておく。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない。」

ーーーーー

 「偽り」という漢字は、「にんべん」に「為す」と書きます。覚え方ですが、「人のためと書いて『偽り』」と、なにか人生を表すような意味の深い覚え方ですよね。

 この「偽り」という漢字を用いて表す「偽善者」という言葉の意味として、「いい事言うくせに裏で何を考えているのかわからない、腹黒い人」というイメージを持つかもしれませんが、今日の聖書の箇所から、この「偽善」についてのイメージが伝わればと思います。

 結論を先に言うと、当時の律法学者やファリサイ派がいくらいい事を言っていたとしても、結局、人を救うのは、神だ、ということなのです。
 人の作る社会ではどうしても、救われない人が生まれるので、今日の聖書の最初で、「めん鳥がひなを羽の下に集めるように、私はお前の子らを何度も集めようとした」と書いてあるように、律法学者やファリサイ派を含めたすべての人を救おうとしているのにも関わらず、あなた達は自分で何とか出来ると思っているでしょ?というのが、ここで言う「偽善」です。
 また、後半の24章側では、弟子たちがイエスに神殿の建物の方を指さした、とありますが、これは、イエスの言葉の厳しさに、イエスのもとを離れて律法学者のいる神殿に戻っていった人達の様子を指さした、と言われています。

 かく言うキリスト教側もその昔、免罪符の大量発行をしてしまい、「救われる」ということはどういうことなのかが問われ、宗教改革が起こったことは、世界史を習った高校生なら、知っていることかと思います。

 21世紀を迎えて15年が過ぎ、今、日本の教育制度が改革されようとしています。
 例えば、センター試験に代わって、高校在学中に達成度テストという新しい試験を受ける、などが挙げられます。
 なぜ、改革されるのか、というと、改革するべき理由があるからで、高校でいうと例えば、トップの次の層の高校生たちがここ15年で、勉強する時間が半分になった、なのに少子化が進んでいるのに大学の入学枠は減らないので、勉強が足りないまま大学進学希望者はみんな大学へ行くようになった、これでは日本の将来はどうなるのか?、といったことがあります。
 更に、この混迷とする21世紀において、頭のいい人から勉強を教わることで頭が良くなれば、就職もできて上手くいきていける、とは限らない(*1)、という時代がやってきそうだ、という背景もあります。高度な情報化で、例えばネット販売が進化するなど、働く場が置き換わる可能性もあるのです。つまり、最初の偽善者の話で言った「あなた達は自分で何とか出来ると思っているでしょ?」が、通じない時代がやってきそうです。

 ではどうするべきか?
 勉強はできて当たり前(*2)で、その先の時代を生きるには、自分たち以外の人とも手を組み、知恵を出し合って、何が答えなのか分からない中で問題を改善するしかありません。集団的自衛権とか、誰と集団を組むのかわかりませが、その敵となる人達とも知恵を出し合って、1つしかない地球上でどうやって生きていくのかを考えるのです。

 本校は、宗教改革の改革した側の流れをくむキリスト教学校です。
 苦しい時代であっても別け隔てなく、翼の陰で守ってくださる神様の存在を知ることで、自分とは違う相手とも共に生きて、一人で生きる限界を、良い形で、乗り越えてください

… … …

お祈りします。
 天の父なる神様、御名を賛美します。
 あなたの守りのうちにあって、自分とは異なる多くの人と共に、より良く生きられるよう、答えのない時代を切り拓く知恵と、行動できる勇気を、与えてください。
 主の御名によって祈ります。 アーメン

  [頌栄(しょうえい)]

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2015.08.11

その時を生きた経験の有無と、抽象概念の教育

こちらの教員免許更新講習で、「子どもの頃にインターネット、ケータイ、スマホがなかった」状況を実際に生きて何かしらを考えた私たちは、(場合によっては)常識が十分に発達していないうちに新しいメディアを使っている子どもたち」の新たな状況を、常に念頭に置いておく必要が有ることを学びました。この差が、意外と大きいですよね。

サリン事件を始めとするオウム真理教に若者が多く入信した時期を実際に生きて、宗教と教育などについて考えたこと…
オイルショックの時期を実際に生きて、エネルギーや国際関係について考えたこと…
高度経済成長期を実際に生きて、労働や豊かさについて考えたこと…
そして、太平洋戦争を体験し、大日本帝国から今の日本になった時期を実際に生きて、戦争と平和、憲法、そして、身近な人の命について考えたこと…

その時期を体験した人と、まだ生まれていない人との差が、意外と大きいんですよね。

また別な教員免許更新講習で、《抽象的な概念の把握自体が難しい》+《発達段階への対応が難しい》ことを学びました。

すると、エネルギー、国際関係、宗教、教育、労働、豊かさ、そして、戦争、平和、憲法…これらの《抽象概念》を《発達段階に応じて》把握してもらうこと自体、大きな人生体験なしには難しいとなります。

特に、身近な人の命がなぜ大切なのか、本当は大切ではないのでは?と考えたりすると、「試しに人を殺してみたい」という欲求が生まれるのかもしれませんね。

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2015.03.29

『【その言葉】だと何も言っていないのと同じです!』

 『【その言葉】だと何も言っていないのと同じです!』の感想を書き綴ります。

|【 】部分は、本来は傍点が振られています。

 この本は「すごく意味がありそうなのに、よく考えるとわからなくなる言葉」について書かれていると、前書きにあります。

 私がこの本に注目するのは、高3の生徒が書く志望理由書で、「実際のところ、大事なことを何も言っていないのと同じ!」と思うケースがままあるからです。

 ただ「【その言葉】だと」という条件は、教育的に意味があります
 志望理由書に関連して分析すると、

(1)言いたいことがあっても、【その言葉】を用いると逆に、肝心な情報が欠けてしまう
(2)実は言いたいことを見つけていないので、【その言葉】を用いて、体裁を整える

の2つの指導すべきポイント考えられます。

 更に問題なのは、大人の側が【その言葉】を使った志望理由書をスルー、更には「良し」と評価してしまうことです。
 何故正しく評価できないか?

 それは、大人の側も、正しく評価できないような言葉の使い方に《慣れて》≒(悪く言うと《犯されて》いるからです。

 マスコミの影響です。

 当然、全てのマスコミが悪いわけではありませんが、以下の様な構造的問題があります。

  • 小論文も新聞も、埋めるべき字数が決っている。テレビやラジオも、埋めるべき時間がある
  • それに対し、埋めるべき有意義な情報を持ち合わせていないケースが、ままある。(当然、埋めるべき有意義な情報を持ち合わせている場合には問題がない)
  • 上記のケースの場合、読み手or聞き手に心地よい言葉で補う
  • ⇒結果、「意味がありそうなのに、よく考えるとわからない」表現となる。

 よって、「意味がありそうなのに、よく考えるとわからない」のに「心地良い」表現を度々目にする&耳にするうちに、それは本当は中身が無い、ということに気付けない状態になってしまっていると思われます。

 例えば、高校3年生の志望理由書に、よく有りがちな表現として、

「貴大学は施設が充実しており、そこで学びたいと思いました。」

がありますが、「大学なんだから、高校より施設が充実していて当たり前(-_-;)」と大学の関係者は思うだろうと推測されます。

 これこそ、【その言葉】では中身が伝わらない一例です。

 ディベートでの知識を活かすと

  • どんな施設に着目したのか?
  • 「充実」の程度は?
  • 「良い」と判断する基準は?

と、事実+価値観(価値基準)の両方を表現しよう、と高3には指導します。
 以下のように書いたら、少なくとも、何故その大学を良く評価したのかが伝わると思いますがどうでしょうか。

「オープンキャンパスに参加したところ、貴大学の無線LAN環境に驚きました。ゼミの方からは、構内をパソコンを持ったまま移動しても通信が途切れないアクセスポイントの配置がなされている上に、学生が研究で利用することができると伺いました。このことは、被災時でも通信断が生じないシステムの研究を志す私にとっては恵まれた環境です。」

 当然、上記を書けるだけの情報を予め仕入れていることが前提なのですが、その情報がない場合に「施設が充実」と書いておけばOKと、書き手の生徒も指導する教員(大人)の側も《錯覚》してしまう現状は、相当まずいと思っております。

 この本によって、私達がよく耳にする社会問題、会議での話題など、「すごく意味がありそうなのに、よく考えるとわからなくなる言葉」は結構使われていて、かつ、その言葉のために、本当の問題解決が見えない状態になっている現状に気付きました。

 ということで、この本の内容について、書けるだけ書き続けようと思っております。

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2013.06.09

神が清めた物を、別け隔てなく

 私の通っている日本キリスト教団仙台北教会南地区礼拝に出席して来ました。
 今日は「子どもの日・花の日」礼拝ということで、牧師先生からは、子どもにもわかりやすい話がなされました。

 使徒言行録10章9~18節を聖書の箇所にして、「神さまにつくられた仲間」という話がなされました。
 人は往々にして「好き嫌い」などで別け隔てしてしまいがちですが、「神が清めた物を、清くないなどと…言ってはならない」という声によって、真に正しいことに目が開かれる話です。

 牧師先生の話を聞きならが、つい、今日の聖書の箇所の先の箇所を読み進めてしまいましたcoldsweats01

 「ヤッファ」で幻を見たペトロは、時を同じくして“霊”のお告げを受けた百人隊長のコルネリウスの招きを受け、最終的に洗礼を受けるのです。

 そのことはエルサレムの教会に報告されるのですが、最終的に

(使徒言行録11章17~18節)
「『こうして、主イエス・キリストを信じるようになった者が、神がそうなるのをどうして妨げることができたでしょうか。』
この言葉を聞いて人々は静まり、
『それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ」と言って、神を賛美した。」

 この人々が静まったしばしの時間が、人間にとって、貴いです。
 人間の中の、何かが変わるために、神様が与えて下さった時間です。

 もしも僕がその場にいたとしたら、どういう思いがもたらされるのでしょうか?

 そんなことを考えている際に、牧師先生から、ベトナム戦争時のアメリカ兵士、アレン・ネルソンさんの話が紹介されました。

 実は、私は存じ上げなかった方なのですが、ものすごく、重い、貴い経験をした方なのですね!

 まさに殺そうとしていたベトナムの女性の出産に気付き、その手で命を抱いた経験は、「敵国の人も人間なんだ」ということとに気づかせてくれたという話です

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2012.11.12

〔「平等」「公平」な教育〕 vs 〔ICTによる自由な学び〕

 ある方からの紹介があり、苅谷剛彦著『大衆教育社会のゆくえ』(1995年発行)を読み終えました。

 すると、私がもやもやと考えていた、以前もこのBlogで書いたICT教育に関する素朴な疑問の答えとなるような内容がありましたので、その内容を中心に紹介します。

#その他の重要な内容もこの本は扱っているのですが、今回は趣旨にあった部分
#のみ引用していることをご理解ください。

-----

[1]
「教育における競争と拡大が織りなしてきた、「大衆教育社会」の成立とその帰結。本書では、戦後の日本社会の特徴を、「大衆教育社会」としてとらえる。大衆教育社会とは、大規模に拡大した教育を基軸に形成された、大衆化した社会のことである。」(はじめに(前書き)p.iii)

[2]
「高度に発達した大衆教育社会の第二の特徴は、「メリトクラシーの大衆化状況」と呼ぶ状態である。メリトクラシーとは、能力と努力の結果である「メリット(業績)」を基準に報酬の分配や社会的な地位が決まるしくみのことである。人が「何であるか」ではなく、「何が出来るか」「何ができたか」が重要な選抜基準となる。従って、メリトクラシーとは、「業績主義」を社会の選抜の原理とする社会であるということができる。たとえば、学校のなかでは、学業達成がもっとも代表的なメリット=業績であり、これを基準に将来の進路が決まる場合をメリトクラティックであるということができる。あるいは、企業社会であれば、職業的な業績によって昇進や昇給が決まるしくみのことである。
 メリトクラシーの大衆化状況とは、このようなメリットによる選抜が、社会のすみずみにまで浸透し、しかも、メリット=業績をどのように定義づけるかという点で、標準化と画一化が進んだ、「公平」な手続きの徹底した状態である。」(p.15~16)

[3]
「さらには、選抜の手続きにおいても、多元的な方法を用いて多面的で複雑な選考を行う場合と、試験の合計点だけで合格が決められる場合とでは、選抜の標準化や画一化の程度に差がある。正解と不正解の区別が明瞭につき、試験の結果は一点刻みの点数としてはじきだされる。誰に対しても、同じ基準を用いて、同じ方法で選抜を行う。メリトクラシーの大衆化した状況のもとでは、例外や特権を認めない標準化された選抜方法が、選抜の「公平さ」を保証する重要な要件となる。選抜の方法自体を、だれでも等しくしようとする「平準化」の圧力が加わって、選抜手続きの標準化や画一化が進むのである。」(p.20~21)

[4]
「差別教育の原型にしたがえば、生徒に差別感を与えない教育が「平等」な教育である。ここには、戦後教育の発展の中で育まれたひとつの平等感、平等主義が明確に示されている。そして、もうひとつの平等主義が、能力の平等という見方であった。学力の差異を素質の差とは見ない。いいかえれば、成績の差を、生まれながらの能力の違いとして固定的に見るのではなく、生徒の努力やがんばりによって変わりうるものと見るのである。そのような見方は、例えば、1960年台初頭の、次のような中学教師の考えに明瞭に示されている。

 「すべての子が、すくなくともほとんどの子が100点をとるような力を本来持っているのだし、それを実行しないことは、正しい意味で“教育”を行なっているとはいえないと考えるのだ」(『教育』1962年5月号、28頁)

 だれでもがんばれば、「100点」を取れる。このような見方は、学力差を生まれながらの素質の違いとは見なさず、生得的能力においては決定的ともいえる差異がないという能力観、平等感を基礎としている。こうした能力=平等主義の登場と普及が、能力別学級をタブー視する基盤となっていった。」(p.181~182)

[5]
「既に明らかにしたように、能力主義的-差別教育観のベースには、生徒の差別感を問題視する平等感があった。差別感を生み出す教育が差別教育である。こうした教育のとらえ方は、平等な教育とは、生徒に差別感を生み出さない教育であるという認識に基礎づけられていた。それゆえ、第一に、このような平等主義は、教育の形式的な均等化、すなわち「画一的平等化」を推し進めざるを得なかった。なぜなら、生徒を分け隔てなく同様に扱うことが、差別感を生まない「平等教育」だからである」(p.189~190)

-----

 [1]~[5]と順に読んで頂くとある程度のイメージをもって頂けると思うのですが、少し順番を入れ替えて説明すると、生徒を平等に扱う教育を掲げて教育が行われてきた結果([4])として、形式的に均等化(「画一的平等化」)した教育になり([5])、別け隔てなく同様に扱って育てた生徒たちが「公正さ」の保証された入試に臨む([3])という体制が、学業達成によって進路が定まる日本社会([2])を大規模に拡大させてきた([1])、ということがわかると思われます。

 私も、もしかしたら、「大衆教育社会」の拡大に携わっているのかもしれませんし、私自身が「大衆教育社会」を駆け抜けて、今の職業に就いている、という印象もあります。

 ただ、[3]については、「公平さ」が保証されていない選抜・入試は問題でしょうし、21世紀の現在では、良い学歴を取得することが、必ずしも良い就職やよい人生を得る保証がなくなってきており、終章にあるように、大衆教育社会にゆらぎが生じているのではないか、とも思われます。

-----

 さて、この本を長く引用したのは、理由があります。

 私自身が「平等」「公平」を掲げた「大衆教育社会」の真っ只中にいるものですから、〔ICTによる自由な学び(個々の学習の方向性が定まっておらず、何を学ぶのかが定まっていない“オープンエンドな学び”の提供)〕に戸惑いがあるのです。

 何せ[3]の標準化や画一化は揺るがず、大学入試においては“多元的な方法を用いて多面的で複雑な選考”は一部に留まり、メインはペーパーテストによる一般入試である限り、それに合わせる教育をせざるを得ない(すなわち、どの生徒に対しても[4]と[5]を基本とする)と思うのです。

 「学校教育の情報化」「『21世紀型スキル』の教育」、そして「学びのイノベーション」・・・イノベーションとは「『新しい活用法』(を創造する行為)のこと。」とWikipediaにありますが、社会全体が既に大衆化された教育社会を形成している中でイノベーションを起こすには、相当大変だろうなぁ(くどいですが、[3]の大学入試の崩しが最も困難)と思う次第です。

 生徒向け導入端末を導入し、ICTを活用すれば自ずとイノベーション、という安易なイノベーションはないですよね(-_-;)

 あるとすれば、ICTの草の根普及による〔“教育の新たな大衆化”の緩やかな進行〕という気がします。

#ゲームやスマホなどに慣れた子ども達にとっては、ICTの普及の壁は、
#以前より低いとは思います。

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2012.02.06

電気をたくさん使う生活じゃ原発廃止なんて…

 今朝の話です。

  • エアコン(暖房中)
  • 電子レンジ
  • 電気ストーブ(450W)
  • 地デジのテレビ
  • 電気湯沸かしポット
  • そしてやはり寒かったからか、サーモ付きヒーターのスイッチが入り…

 ブレーカー落ちました!
 電気代の安い、30A契約なのでcoldsweats01

 でもですね、これだけ「便利な電化製品」をたくさん使う世の中になれば、原発廃止をした場合に、発電量が足りなくなるのではないかと思っちゃいますね!

 昔は、お湯を沸かす等にはガス、暖房には灯油等を使っていましたよね。
 その分、電気エネルギーにシフトしてしまっています。

 それが、みんなで電化製品を使うようになれば、更にエネルギー問題になるような気がします。

 大丈夫なんでしょうか?

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2010.05.05

仙台北部道路の力!

 一昨日、盛岡で行われた『第9回東北ディベート交流大会』から帰って参りましたhappy01

 この、ゴールデンウィークに盛岡へ赴くのは中々大変でして、とにかく高速道路の渋滞(自然渋滞やら事故渋滞やら)が激しく、試合開始の時間に会場入りできない、という悲しい年もありましたので、昨年から行きは普通列車で行っています。

 行きの普通列車も昨年は、一関~平泉がものすご~く混みまして大変でした!
 今年は、昨年の2両編成から6両?編成へと増車しておりまして、無事に座れましたhappy01

 そして、帰りのバスですが、昨年はすんごく渋滞で大変だった記憶があるのですsad

 今年ですが、確かに一関トンネル手前の自然渋滞は少し長かったのですが、その他は多少車の台数が多かったものの、流れていました。

 特に富谷ジャンクションから南は、劇的に車が空きました!
 仙台北部道路側へ流れる車がそこそこあって、東北自動車道側に直進する車の台数が明らかに減ったのが原因だと思われますscissors
 恐らく、仙台から東側にお住まいの方々は、わざわざ街中を通る仙台宮城インターへ行くよりは、北部道路経由で仙台の東側へ抜けた方が早いでしょうからねぇ。
 代わりに、三陸自動車道と合流する利府ジャンクションー→仙台港北インターが渋滞2kmなんですよねぇ…

 仙台宮城インターも空いていて、バスはETCゲートをスムーズに抜けました!

 代わりに、広瀬通が渋滞でcoldsweats01 でも無事に、昨年よりも早い時間に仙台駅へ到着したのでした。
 中尊寺の休憩までに、結構眠ることもできたのでした(^-^)

 ・・・福島県側の渋滞20kmとか、栃木県の渋滞50kmなどにハマっている方々は、さぞかし可哀想だろうと思いつつcoldsweats01

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2009.09.23

体系的でないと、分からないものなんだ!

 先日、BookCafe『火星の庭』で行われた「『火星の庭 社会科シリーズ』第2回 ~わたしの経済とせかいの経済のこれから/お話:川端純四郎~」に…仕事(=講習等)が遅くなって、先生のお話が終わった時間から参加しましたcoldsweats01

#後ほど、そのお話を記録したDVDを借りに行って、それを見て勉強します!

 お話の後は食事を囲んで意見交換が続くのですが、その中での話です。

 新聞・テレビ・ラジオ・ネット・本などの様々な形で、私たちはこういった、せかいの経済や現在の日本のことについて、多くの情報に触れているのですが、「世界の中の日本とは?」といったことについて、全然ちんぷんかんぷんです。

 なんでだろうと思ったところ、「多くの情報は断片的で、その関連性が分からずに、今の日本について体系的に理解できていないから」ということに気がつきました。

 例えば『朝まで生テレビ』や『TVタックル』などの番組は、今の日本についての情報を与えてくれるので有意義ではありますが、それによって「今の日本について深く理解できた」という感じにはなれません。ただ、見ていて面白いかもしれませんし、視聴率があれば番組製作側はそれで十分なのかもしれません。

 情報が与えられても、その情報にどういった意味や背景があるのか・・・つまりその情報を十分に活用できるような形で捉えることができないのです。

 例えば、今回の川端先生のお話も、それを聞いて「良く分かりました!」という人もいたのですが、きっと、まだまだ事の本質を深く理解できた、という状態にはなっていないのかな?と思ったのです。
 なぜなら、例えば僕は、川端先生が行ってくれた「アフタヌーンレクチャー」シリーズのほとんどを頑張って受けて、日本の現代史をある程度体系的に学んだことを踏まえて今回の話を伺えるので、「あ、この話はレクチャーで聞いたあの話題の延長線上にあるんだ」という形で理解できます。
 つまり、あることを理解するには、その前に予備的な知識を体系的に学んでおく必要があって、それを踏まえると、新しい情報を有機的にその体系に組み入れる形で理解ができるのだ、と思われます。

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 現在のディベートは、体系的に学べる体制になっていません。

 試合を繰り返しても、学びは断片的で、都度、指導者やジャッジが、その知識&情報の繋がりについて解説を加えたとしても、ディベートの体系的な学びを構築することが難しいのです。

 もちろん、数をこなすことで、自分の中で自然に“体系”が構築される可能性を否定しませんが、逆に“誤った体系”を構築するリスクもあるのです。

 これについては現在、ディベートを「Stars(階段)」システムで学べるようにと、教材を作成しているところです。いずれ公開し、ご意見・ご批判を頂戴して、誰もが体系的に学べるような教材に成長させたいと思っております。

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 学校では『物理』という、みんなが学びにくくて嫌われる確率の高い教科を教えています。
 その中で、「これを教えた」という証拠を残すために編み出し、構築してきた「Stars(階段)」システムですが、実はこの学び方が、自分の想定していなかったメリットを生み出していることが、最近になって分かってきました。
 そして、つい最近気がついたのが、「Stars(階段)」システムは、ある内容を体系的に捉えて学ぶことに適したシステムである、ということなんです。

 「プリントを連続的に配布してやらせているだけじゃねーか」とか、ここ数年、僕から物理を習ったことのある皆さんなら言うのかもしれませんが、

  • 全部で~~~枚、ということは、まずは大枠(それ以外は高校の学習範囲外)を捉える事ができる。
  • 順番がある、ということは、学ぶべき内容が順番に並べられている、ということ。
  • その順番は、後で学ぶ内容を理解するための順番になっている。
    それは「易しい(=特に予備知識がいらない)→難しい(新しいエッセンスが少数加わっている)」の順番になっている。(後ろは、エッセンスがたくさんあるので難しい)
    カリキュラムが構築されている。
  • 体系的に学ぶ=新しく学ぶ内容(エッセンス)をきちんと理解するためには、以前に学んだ内容を簡単に復習できる、という点がものすごく効果的な要素となっている。

ということで、核となる部分から順番に、外縁の部分へ至る知識を構築してもらって、体系的に物理を理解することに繋げることができるのです!

 これをディベートで実現したいhappy01

 ・・・というような形で、今の日本を理解する方法があれば嬉しいなぁ。

 Blogじゃダメなんです。
 いくらリンクを貼っても、断片的なものが幾つか繋がったに過ぎないんです。

 もう一度どこかで、順番を考えながら、再構築する必要があるんですねぇ!

 ・・・頑張ってみようかなぁ!

~~~~~

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2009.09.06

陳情という民意の反映方法を高校生ディベーターはどう思う?

 今年、高校生ディベーターは、「日本は一院制にすべきである。是か非か」という、やや難しい論題に真摯に取り組みましたよね。

 一院制にすべき理由として、「ねじれ国会に端を発する問題の解消」を挙げていた高校生は多かったと思います。

 今回の選挙で、ねじれが解消されました。
 一院制というプランをしない形でのねじれ解消を、全国の高校生ディベーターはどう思ったのでしょうか?

-----

 もう一つ、今年のディベートでは、プラン後で「民意の反映」がなされるのか、むしろ民意が切り捨てられるのか、が争点となりました。

 そこで、下記のニュース郡をチェックして欲しいのです。

自民・下野ショック:担当記者座談会 政権交代、県政界への影響は /山口
>C 道路整備や新幹線駅設置など高度成長期以降、県内は自民政権のうまみ
>を十分に享受してきた歴史がある。

 昨日私は、政権交代について肯定的な記事を書きました。
 上記も、その方向性のもので、国民から税金として集められたお金の使い方について考え直すには、政権が変わったほうがいいだろうと、私は考えています。

#国民として必要な額の税金を納めることに異論はないのですが、取りすぎている
#なら返して欲しいです。
…本当は足りないのでしょうが、それならまずはお金の使い方を考えて欲しいですねぇangry

 ですが、下記のニュースは、ニュアンスが少し違います。

政権交代@宮城 「陳情どこに」財界手探り
政権交代@宮城 建設業界の不安

 共に宮城県発の記事ですが(^^ゞ、ここにあるのは「誰に言えば民意を聞き、それを実現してくれるのか?」という切実な問題です。

 高校生ディベーターの皆さんは、仮に一院制にした場合には、どのような形で民意が反映されるようになるのか、を、具体的に想定していましたか?

 想定していない状態で仮に一院制が実現してしまった場合には、国が混乱します!

-----

 『子ども手当ての支給』『高速道路の無料化』など、民主党のマニフェストの内容について「あくまで目標で、その政策が維持されるとは限らない」など、既に後退する発言があったとか。

 私達国民は、マニフェストにあるような国家レベルの提案についても、その良し悪しが判断できるようになりたいですね。

 只今『サンデーモーニング』を見ていました。
 解説陣が丁度、「新政権はいかに民意を反映させようとするのか?」という話題について、非常に懸念しているという趣旨の発言をしていました。
 自民党が構築してきた、陳情などのシステムは、利権が絡む一方で、少なくとも地元の民意を吸い上げて判断し、予算の執行にこぎつけて実現させてきた、というメリットが間違いなくあったのです。(前回の発言でも、その点のメリットを認める内容を書いています)
 一方で民主党は、そういった利権を廃すと言って政権交代を実現させたものの、「民主党の方々が実現させたい政策があって集まった人たちではなく、様々な理由で『反自民』という点で一致して集まっている人たちの党だから」と、サンデーモーニングでは解説されていました。

 特に大臣や各省庁の政策決定に関わるような、要職に就く政治家が官僚よりも政策に疎いとなると、国にとって良い政策は何か、が判断できず、民意を反映させるシステムが構築できませんので、国は混乱します!

 具体的なプロセスを想定しないでプランを提案する肯定側のようなものでしょうか(^^ゞ

#だからこそ『サンデーモーニング』では、今後の民主党の人事や、組閣人事が重要で、
#担当能力を重要視する人事である必要があるとの解説が…国民として要チェック!
(自民党と同様に、当選回数とか、派閥とかでの選考だと…好き嫌いで???)

… … …

 ですから肯定側は、「プランを実施すると具体的にどのようなことができるのか」を、しっかりと考えましょう
 「資料に書いてあるから、2倍深い議論ができる」って言い切る前に、「具体的にはどうなるかな?」と、あらかじめシミュレーションするところにディベートの意義があると思います!

 もう一つ、私を含めてなのですが、今回は「政権交代がなされたら私達はどうあるべきか」を勉強する機会に直面しているのだと思っています。

 特にお金の使われ方(税金の取られ方&予算の決め方&使われ方)については、ちゃんとニュースをチェック&判断するなど、個人的には注視し続けたいと思うのです。

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2009.09.05

政権交代のメリット・デメリット

 8/31(月)の読売新聞が発信した記事は、ネットでニュースを見る方の結構な割合の方が見たのではないかと思うのです。

#ヤフーにあった全く同じ文面のニュースは、期限切れで見られませんdespair

 下記の引用部分、恐らく、長い間行われてきたんでしょうねぇbearing

>例年なら、概算要求の提出前に、自民党農水族に説明して「お墨付き」をもらう
>のが慣例
だったという同省。それが今年は議員が皆、衆院選準備で地元に帰って
>しまい、事前の根回し抜きの予算要求になった。ある幹部は「これから自民党に
>説明していいのかどうかもわからない」と困り果てた表情。

 自民党以外の党に説明を必要とし、自民党以外の党の視点から国としてその予算が妥当であるか否かを判断された予算を作成するようになることが、政権交代の大きなメリットの一つであると思っています。

 ところが意外と、この記事を用いたmixiの日記を見ると「この記事は官僚バッシングだ」という形で、記事に批判的な声が結構強いと感じました。

 政権交代のデメリットは、予算成立までスムーズではなくなる、ということだと思うのです。観点が違う方々を説得する必要が生じ、“今までどおりの”予算の作成が難しくなるということは、手間のかかることですから。

 ですが、「昨年はこうでしたよねぇ。今年は~~を」という官僚の提案に、「おぅ、分かった」で済んでいたのは、国の予算が潤沢であることが条件であろうかと。

 国にお金が足りない、ということを認めたら、お金の使い方を見直す必要があるはずです。
 その「お金の使い方を見直す」という作業は、今まで「おぅ、分かった」と言っていた人には無理だと思われます。

#もちろん、観点が違う方々であっても「それは必要だ」と納得できるような予算は
#認められるべきだと思います。

 上記のようなことを鑑みるに、「長期政権は腐敗を生む」ことは、必然の流れ
 やはりこの国には、この段階で一度、政権交代があった方が良かったのではないかと思っています。

 それに対して「あれ?今までどおりのお金の使わせ方をさせてくれないなら…」と、選挙結果とこの国の予算とは別だ、と言わんばかりの、勘違いも甚だしい、よろしくない抵抗勢力官僚が登場しそうな気がします。

 政治家の対応も官僚の対応も両方を知ることができる、透明性の高いオープンな対応をお願いしたいです>新政権&報道

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