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2016.02.20

「みずからまなぶことを知らない」学び手を育ててしまう学校…

 まずは率直に、下記の文を読んでみてください。

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 ある芸ごとの名人の言だということだが、次のようなことばを聞いたことがある。「芸ごとのコツというものは、師匠から教えてもらうものではない。ぬすむものだ」というのである。おしえる側よりも習う側に、それだけの積極的意欲がなくては、なにごとも上達するものではない、という意味であろう。
 芸ごとと学問とでは、事情の違うところもあるが、まなぶ側の積極的意欲が根本だという点では、まったくおまじだと、わたしはかんがえている。うけ身では学問はできない。学問は自分がするものであって、だれかにおしえてもらうものではない。
 そういうことを考えると、いまの学校という制度は、学問や芸ごとをまなぶには、かならずしも適当な施設とは言いにくい。今日、学校においては、先生が教えすぎるのである。親切に、あまりにも親切に、なんでもかんでも、おしえてしまうのである。そこで学生は、おしえてもらうことになれて、みずからまなぶことをしらない、ということになってしまう。
 もし学校において、教師はできるだけおしえまいとし、学生はなんとかして教師から知恵をうばいとってやろうとつとめる、そういうきびしい対立と抗争の関係が成立するならば、学校というものの教育的効果は、いまの何層倍かにものぼるのではないかと、わたしは想像している。いあの学校のやりかたが、まったく無意味だともおもわないが、学問や芸術などの創造的な活動力をやしなうには、たしかにあまりに【でき】のいい制度とはおもわれない。
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 昨今、アクティブラーニング等に取り組んでいる先生方にとっては、まったくその通りで何を今更…と思われるかもしれません。

 ただこの文章が【 1969年7月に第1刷発行 】の本からの引用だとしたら、どう思われますか?

 上記の文は、わたしが生まれていない年に発行された本で 梅棹忠夫著『知的生産の技術』の、「はじめに」の出だしです。

 …この本が警鐘を鳴らした1969年から43年、学校現場はいかに、分かっていても変わらないものなんだ、と改めて実感する次第です!

追伸:
 当然、当時も今も、このことに気づいて、児童、生徒、学生に、自ら学ぶ姿勢をのばし、創造的な活動力をやしなうことに寄与した先生方はいるだろうことは認めます。

 しかしながら、学校全体、更には教育産業や保護者を含んだ我が国全体を、望ましい方向に動かすには至りませんでしたよね。

 さて、今回の教育改革は、いかに?

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コメント

名越先生、昨日は奈良で生でお会いできて感激でした。和田美千代です。知的生産の技術の冒頭、なるほど感心させられますね。アクティブラーニングが答申にでてきたのが2012年ですけれども、私はもっと遡ると思っています。文科省は壮大なストーリーを描いている。平成元年改訂の社会の変化に自ら対応できる・・「新しい学力観」が登場し、その後一貫して、生きる力、総合的な学習の時間、キャリア教育、言語活動の充実、そしてアクティブラーニングへと一貫して展開していて、それは川の流れが大河に至る道筋のようです。ALはいきなり出てきたわけではないということが言いたい和田でした。

投稿: 和田美千代 | 2016.02.21 09:53

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