「みずからまなぶことを知らない」学び手を育ててしまう学校…
まずは率直に、下記の文を読んでみてください。
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ある芸ごとの名人の言だということだが、次のようなことばを聞いたことがある。「芸ごとのコツというものは、師匠から教えてもらうものではない。ぬすむものだ」というのである。おしえる側よりも習う側に、それだけの積極的意欲がなくては、なにごとも上達するものではない、という意味であろう。
芸ごとと学問とでは、事情の違うところもあるが、まなぶ側の積極的意欲が根本だという点では、まったくおまじだと、わたしはかんがえている。うけ身では学問はできない。学問は自分がするものであって、だれかにおしえてもらうものではない。
そういうことを考えると、いまの学校という制度は、学問や芸ごとをまなぶには、かならずしも適当な施設とは言いにくい。今日、学校においては、先生が教えすぎるのである。親切に、あまりにも親切に、なんでもかんでも、おしえてしまうのである。そこで学生は、おしえてもらうことになれて、みずからまなぶことをしらない、ということになってしまう。
もし学校において、教師はできるだけおしえまいとし、学生はなんとかして教師から知恵をうばいとってやろうとつとめる、そういうきびしい対立と抗争の関係が成立するならば、学校というものの教育的効果は、いまの何層倍かにものぼるのではないかと、わたしは想像している。いあの学校のやりかたが、まったく無意味だともおもわないが、学問や芸術などの創造的な活動力をやしなうには、たしかにあまりに【でき】のいい制度とはおもわれない。
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昨今、アクティブラーニング等に取り組んでいる先生方にとっては、まったくその通りで何を今更…と思われるかもしれません。
ただこの文章が【 1969年7月に第1刷発行 】の本からの引用だとしたら、どう思われますか?
…この本が警鐘を鳴らした1969年から43年、学校現場はいかに、分かっていても変わらないものなんだ、と改めて実感する次第です!
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