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2015.08.31

自分達で解決しようとする人間を、翼の陰に

 本校では、2千人ちょっと入る礼拝堂で、毎日授業の前に、中高約1600人が一堂に集って、礼拝を守ります男子校で1600名ほどの男子が集まる様子は、初めて見る方は驚くかもしれません。
 クリスチャンである私は、年に数度、担当として、することがあります。
 聖書の箇所は通読なので、子どもの頃からの日曜礼拝等で何度も聞いたことがあって、生徒に話しやすい箇所のこともあれば、「これは何を話せばいいんだ?」と悩む難解な箇所もあります。

 今回も、やや難解な箇所だと思い、色々調べ、当番の日の未明に原稿を作成したのですが、夏休み中の各部の大活躍で、表彰するのに時間がかかる関係で、お話を省略してお祈りだけになりました。
 ということで、折角頑張って作成したのにボツとなった原稿をUPすることにしました(^-^ゞ

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マタイによる福音書23章37節~24章2節

「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。見よ、お前たちの家は見捨てられて荒れ果てる。言っておくが、お前たちは、『主の名によって来られる方に、祝福があるように』と言うときまで、今から後、決してわたしを見ることがない。」
イエスが神殿の境内を出て行かれると、弟子たちが近寄って来て、イエスに神殿の建物を指さした。そこで、イエスは言われた。「これらすべての物を見ないのか。はっきり言っておく。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない。」

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 「偽り」という漢字は、「にんべん」に「為す」と書きます。覚え方ですが、「人のためと書いて『偽り』」と、なにか人生を表すような意味の深い覚え方ですよね。

 この「偽り」という漢字を用いて表す「偽善者」という言葉の意味として、「いい事言うくせに裏で何を考えているのかわからない、腹黒い人」というイメージを持つかもしれませんが、今日の聖書の箇所から、この「偽善」についてのイメージが伝わればと思います。

 結論を先に言うと、当時の律法学者やファリサイ派がいくらいい事を言っていたとしても、結局、人を救うのは、神だ、ということなのです。
 人の作る社会ではどうしても、救われない人が生まれるので、今日の聖書の最初で、「めん鳥がひなを羽の下に集めるように、私はお前の子らを何度も集めようとした」と書いてあるように、律法学者やファリサイ派を含めたすべての人を救おうとしているのにも関わらず、あなた達は自分で何とか出来ると思っているでしょ?というのが、ここで言う「偽善」です。
 また、後半の24章側では、弟子たちがイエスに神殿の建物の方を指さした、とありますが、これは、イエスの言葉の厳しさに、イエスのもとを離れて律法学者のいる神殿に戻っていった人達の様子を指さした、と言われています。

 かく言うキリスト教側もその昔、免罪符の大量発行をしてしまい、「救われる」ということはどういうことなのかが問われ、宗教改革が起こったことは、世界史を習った高校生なら、知っていることかと思います。

 21世紀を迎えて15年が過ぎ、今、日本の教育制度が改革されようとしています。
 例えば、センター試験に代わって、高校在学中に達成度テストという新しい試験を受ける、などが挙げられます。
 なぜ、改革されるのか、というと、改革するべき理由があるからで、高校でいうと例えば、トップの次の層の高校生たちがここ15年で、勉強する時間が半分になった、なのに少子化が進んでいるのに大学の入学枠は減らないので、勉強が足りないまま大学進学希望者はみんな大学へ行くようになった、これでは日本の将来はどうなるのか?、といったことがあります。
 更に、この混迷とする21世紀において、頭のいい人から勉強を教わることで頭が良くなれば、就職もできて上手くいきていける、とは限らない(*1)、という時代がやってきそうだ、という背景もあります。高度な情報化で、例えばネット販売が進化するなど、働く場が置き換わる可能性もあるのです。つまり、最初の偽善者の話で言った「あなた達は自分で何とか出来ると思っているでしょ?」が、通じない時代がやってきそうです。

 ではどうするべきか?
 勉強はできて当たり前(*2)で、その先の時代を生きるには、自分たち以外の人とも手を組み、知恵を出し合って、何が答えなのか分からない中で問題を改善するしかありません。集団的自衛権とか、誰と集団を組むのかわかりませが、その敵となる人達とも知恵を出し合って、1つしかない地球上でどうやって生きていくのかを考えるのです。

 本校は、宗教改革の改革した側の流れをくむキリスト教学校です。
 苦しい時代であっても別け隔てなく、翼の陰で守ってくださる神様の存在を知ることで、自分とは違う相手とも共に生きて、一人で生きる限界を、良い形で、乗り越えてください

… … …

お祈りします。
 天の父なる神様、御名を賛美します。
 あなたの守りのうちにあって、自分とは異なる多くの人と共に、より良く生きられるよう、答えのない時代を切り拓く知恵と、行動できる勇気を、与えてください。
 主の御名によって祈ります。 アーメン

  [頌栄(しょうえい)]

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補足
*1:本校での校内教員向けの第34回教職員修養会(キリスト教的な内容を学ぶ会)で、本校聖書科非常勤講師の清野久貴先生から、本校の教育活動と毎日の礼拝について学んだのですが、参加しながら考えたことがあります。
 それは、20世紀までの教育が、17~18世紀に花開いた『啓蒙主義』の流れを組んでおり、21世紀となって、どうやら行き詰まり始めている、ということです。なるほど、21世紀型教育が提唱されているのは、このような背景なのかと思いました。

参考:「啓蒙主義とはなんですか?
「民主主義と啓蒙主義はセットです。啓蒙により、国民は皆等しくある一定程度の理性を身につけ、国民としてふさわしい責任能力を持てる、というのが民主主義と啓蒙主義の建前です。
(中略)
しかし、現在は建前が建前に過ぎないことは、それ以後の歴史(ファシズムや2度の世界大戦)や、現在のポピュリズム政治が実証しているようにも見えますし、何というか世の中の共通了解になっているように思います。中央教育審議会が明確にエリート教育を打ち出し始めているのも、啓蒙主義は建前としても死んだという現れです。」

学校教育の終わり (内田樹の研究室)も参照ください)

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*:2:本校の中高生に対して、勉強することを否定することを匂わす発言は、出来ません!
 それをしてしまっては、自由を履き違えた方向に暴走しかねませんので(^^;

 それに加えて、「『知識を得る』という行為なら、ネット社会であれば、中高生でも主体的に、教員の能力を越えて、いくらでも出来る!」という話を伺ったばかりでしたので(^^;
 広尾学園中学校・高等学校の榎本先生のインタビュー記事を御覧ください。
「知識があることが教員としての権威だと思っている先生もまだ多いですね。
 先生の頭の中よりも、ウェブのほうがたくさん情報はあるのに。(中略)
 ウェブの情報によって生徒と先生の知識がフラットになったうえで、価値あることを教えられる教員が求められるということだと思います。」

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