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2013.10.20

集合知の可能性と限界、それと教育

 只今『オープンサイエンス革命』を、ネットで高評価だったことから読み進んでいます。
 この段階で、私にとって大きな気付きが2つもあったので、一旦まとめます。

【1】-----
{P.80]
本章では、スケールアップするためにオープンソース・コラボレーションがこれまで用いてきた、次の四つのパターンを検討する。

(1)大きな課題を小さな課題へと分割する効率的な方法を発見し、モジュール化を徹底する。
(2)小さな貢献を奨励し、参加の敷居を低くする。
(3)他者の貢献によって蓄積されてきた資源を容易に再利用できるようにする。
(4)どこに注意を向けるべきかを判断しやすくする、自動採点などのガイダンスメカニズムを採用する。

これらのパターンはさまざまな注意のアーキテクチャーに導入できるもので、集合知の増幅を促進する要件だ。
-----ーー

 この4つのパターンは、応用が広く、覚えておくべきだと思いました!
 特に授業等、生徒と共に何かを成し遂げることを考えた場合

  1. 大きな課題があっても、小さな貢献ができるように課題を小さく、《スモールステップ》に分けて、参加の敷居を低くする。
  2. その小さな貢献を奨励して、貢献した生徒を褒める
  3. 折角の取り組みの成果は、他者が利用できる(例:教えてもらう、見せてもらう)ようにする
  4. 取り組みの成果がどこにあるのかを、全体にアナウンスする

などの応用が考えられます。
 少数の教員が多数の生徒に効率よく、しかも気分よく学習成果を得てもらうためにも、上記の工夫を施せるようでありたいものです!

【2】-----
[p.112 第5章 集合知の可能性の限界]

 集合知は問題解決の万能薬ではない。本章では集合知が適用できる問題とできないものを区別する根本的な基準について検討する。次にその基準に照らしたうえで、科学はとりわけ集合知を用いた問題解決に分野だという点を明確にする。
[p.118]
 〈p.117からp.118にかけて、難しそうなパズルの紹介と“問いに対する答えが出ない理由の説明があった後に〉確かにこのパズルはむずかしく感じられるかもしれないが、ひとたびこのような説明を聞けば、すぐに「なるほど、そうか!」と理解できるだろう。自分で問題解決に頭を悩ますよりは、すでにある知見を理解するほうがたやすいというわけだ。これは、他者の洞察を理解する難易度と、自分で解答を考え出す難易度のあいだの相違とも言い換えられる。

〈事例を中略〉
[p.121]
 このことから、集合知を増幅するために不可欠な基本要件とは何かがわかる。つまりグループの参加者は、ある一定の知識とテクニックの体系を共有していなければならず、それを用いて初めてコラボレーションが可能となるのだ。この共有された体系がある場合、そのグループは【共有プラクシス】を持っているという。ここで言う「プラクシス」とは、知識の実践を意味する。そして共有プラクシスの有無は、個人の知識を集合知へスケールアップできるかどうかを決める
〈事例を中略〉
[p.122]
 これらはすべて問題解決の過程で共有プラクシスを活用できた例だが、そもそも共有プラクシスが存在しない分野も多々ある。たとえば、政治の世界には強力な共有プラクシスがない。人々は基本的な価値観をめぐってですら、いとも簡単に見解の不一致に至る。共有プラクシスを持たないグループでは、解消不可能な意見の不一致が発生する。そうなるとそこから分裂が生じ、コラボレーションをスケールアップする機会は失われる。

[p.123]
 このように複数の慣例的な見方が併存していると、それらの境界を超えて人々が協調するのは相当に難しい。なぜなら、どのような条件が満たされれば進歩したと見なせるかを判断するための共通の基盤が存在しないからだ。こう述べたからといって、それがあてはまる分野に対してネガティブな評価を下しているわけではないが(偉大な音楽家、画家、政治家はみな、人間の能力の限界付近で仕事をしている)、その事実が集合知の適用にそぐわないのは確かであろう。
 強力な共有プラクシスを持たない分野は他にも多々あり、そのことは学問分野の多くにあてはまる。
-----

 大変残念ながら、教育という分野が【共有プラクシス】がなく、集合知が増幅しにくい分野なのだということに、この歳になって、この本を読んでようやく気付きました。
 特に、それぞれが独自に努力した手法が違ったり、対象の児童・生徒が異なっているために見解が異なっていると、それらを越えて、ある成果が集合知として協調・増幅されることが少ないのです。
 ましてや、似たような教育実践に取り組んでいない、すなわち知識の実践が共有されていない者同士が、実際に会せずにネットによる意見交換だけで集合知を形成するのは、相当難しいと結論付けることができるでしょうweep

 20年ほど前、教育系の大学に通ってなかった私は、パソコン通信上で教育について学びました。その際、「ああ、それは分かる!」と、理解し合い、大いに学んだ経験と、「何でこんなことが分かり合えないのか?」と、バトルになってしまった経験の、両方があります。

 それは上記の、【共有プラクシス】があって集合知が増幅された幸運な事例と、【共有プラクシス】がなくて集合知が形成されない事例であって、実は“教育分野では集合知が形成されにくくて当たり前(“デフォルト”は“形成されない側)だったのです。

… … …

 ただ、一人の人間が考えられることには、限界があります。
 ネットで得られる知恵は、膨大
です。

 上記
「工夫がなければ教育分野の集合知が形成されない」ことを、まずは私の側が意識それを乗り越えられるような意見交換を進めて、自分の教育実践をより高められるような存在でありたいです!
 

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追伸:

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[p.124]
 ところで、集合知の適用においては、共有プラクティスの有無だけではなく、ほかにも多くの実践的な問題が生じる。(中略)もっと言えば、グループはメンバーが互いの意見を強化しあう一種のエコールームと課する場合があるし、基本的な行動規範が崩壊してしまうこともある。
 この種の、秩序の崩壊によって立ちいかなくなったオープンソースのコラボレーションは多い。ぞんざいに設計されたWebフォーラムの多くは、荒らしや反社会的行為の巣窟になる可能性は高い。これまでに取り上げた成功例のプロジェクトは、これらの問題をおおむね克服している。かろうじてそれに成功する例もあれば(略)、ポリマス・プロジェクトのように圧倒的に成功している例もある。
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 荒らしや炎上が、どうして発生してしまうのか、その理由の存在が推測できます
 ですから、ネットでは、人間的な理性と良心が増幅するように、工夫が施さなければならないと思います。

 ちなみに、ネット上で進めっれてきたリナックスの開発に分裂の危機が訪れた時、「<リナックスの開発者>トーバルズとVGERの創設者デイヴ・ミラーを含む、何人かの指導的な開発者が実際に集まって行った議論」によって、分裂の危機が回避された[p.94]そうですよcoldsweats01

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