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2012年12月23日 - 2012年12月29日の2件の記事

2012.12.29

やはり教え手は、コンピュータではなく、人間…

 まずは下記の文章をお読みください。

酒井 邦嘉 著「脳を創る読書」p.78~p.83より引用します。
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(鉄腕アトムの)「7つの力」は、図の左上から順に挙げると次のようになる。
(1)聴力が千倍にできる。
(2)60カ国語をあやつる
(3)おしりからマシンガン
(4)目がサーチライトになる
(5)人間の心の善悪を感じ取る
(6)力は十万馬力
(7)ジェット噴射で空をとぶ

 このうち、(6)と(7)は運動に関係した付加機能であり、(3)と(4)はそれ以外の付加機能だ。残りの(1)と(2)と(5)がアトムの「脳」に関係してくる。
 さて、この7つ中から、現在の技術でも実現できそうなものを選んでいただきたい。最近行った一般向けの講演で、聴衆の皆さんに実際に挙手をして頂いたところ、ほとんどの人が(5)の「人間の心の善悪を感じ取る」は選ばなかった。確かに、人の心が分かるロボットの実現は遠い先だと思われているようだ。(中略)
 ところが、私の予想していた(2)の「60カ国語をあやつる」は、ほとんどの人が「実現できそうだ」と判断して手を挙げたのである。これには正直驚いた。一般常識を持つ人々と、言語を研究する者との間には、実は大きな見解の相違があったのだ。
 現在の人工知能の研究では、人間の言語を扱う「自然言語処理」と呼ばれる分野は、その重要性と期待とは裏腹に大きく取り残されている。要するに人間の言語のことはよくわかっていないのである。人間とまともに会話できるコンピュータは全く存在しないのだから、「1カ国語をあやつる」っことすらできない。まして、「2カ国語をあやつる」自動翻訳は夢のまた夢である。2003年(注:アトムの生まれたと手塚治虫氏が設定した年)を越えた今なお、人間の脳を超えるアトムは遠い未来のロボットなのだ。
 コンピュータの用意した質問に対して、人間側が「はい」か「いいえ」で答えるだけで、病気を診断したりこちらの思っていることを当てたりするソフトがコンピュータ開発の初期段階から作られた。これは機会と人間の会話に見えなくもないが、人間のほうから質問ができないのだから、会話とはいえない。機械が人間と会話できるためには、文の文法的な構造はもちろん、意味の認識プロセスや最低限の「想像力」をコンピュータ上に実装する必要がある。機械が「言語をあやつる」ためのハードルは高いのである。(中略)
 「60カ国語」をあやつる」ことと「人間の心の善悪を感じ取る」ことの2つが21世紀になっても宿題となっているのは、言語と心の「からくり」が脳科学で解明されていないからである。言語とは何か、人間の心とはなにか、という理解が科学的にできていない。だから、人間の心を理解し、言語をあやつるロボットを工学的につくることもできないのだ。たとえそれが擬似的に可能になったとしても、人間はその違いをすぐに見抜くことができる。
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 一番最後の部分「言語をあやつるロボットを工学的につくることもできないのだ。たとえそれが擬似的に可能になったとしても、人間はその違いをすぐに見抜くことができる。」を教育に当てはめれば、以下の結論に至るのだと思われます。

 「人間は、コンピュータに教わると、違和感を感じる」

 だから、ICTが教育に導入されても、“アナログの7”はゼロにはならない、と予想するのです。

 そして教員であれば、「会話(他者とのコミュニケーション)がなければ、学びには相当な困難や限界が生じる」という事実を、様々な場面で実感するでしょう。。

 仮に「ある問題に正解できない」という子どもがいたとします。
 原因がいろいろあるでしょうが、大きく分けて2つの原因が考えられます。

a.わからない
b.勘違いして誤答する

 このa.、b.について「どこがわからないのか?」「どこを勘違いしているのか?」は、教員側が学習者に見合った“様々な形で質問し”、わからない箇所や勘違いの箇所を見つけてあげて、それをもとに、教えますよね。

 コンピュターは会話ができませんから「(学習者に見合った)“様々な形で質問する」ができません。

 学習者の「わからない&勘違い」の箇所を正して「わかる」にすることは、アナログな行為であり、それができることこそ、教員が「先生」と呼んでもらうための、大切な資質だと思っています。

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2012.12.28

“1人1台のタブレット授業”を、高校ではあまり聞かないのは?

 去る12月1日に行われた日本教育工学協会(JAET)の「教育の情報化実践セミナー 未来の教室がやってくる in 仙台」にて、あるまとめのプレゼン(パワーポイント)で提示された文字が強く印象に残りました。

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イメージを掴むのが目的⇒メディア(タブレット機など)
定着が目的⇒板書

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 実はその会での実践事例は、小学校のものが主でしたが、「高校側では一人1台のタブレット機活用の事例を小学校ほどにはあまり耳にしないのはどうしてかな?」という印象を持っています。

 つまり、小学校の授業での学びと、高校の授業での学びとには、何か差(違い)があるはず、という仮説です。

 その一つの解が、上記にあるのではないか、という予想です。
 それは、

……………
イメージを掴むことが主眼となる授業が多い=小学校
イメージを掴んだ先の理論の理解・定着が主眼となる授業が多い=高校

……………

 このあたりは、私が以前こちらの記事で書いた「小学校の学習方法のままでは中学校で行き詰まる&中学校の学習方法のままでは高校で行き詰まる」ということにも関連がありそうです。

=====

 という仮説のもとに、「教育の情報化実践セミナー」の懇親会の席で、東北学院大学の稲垣先生に伺ってみたところ、

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現在のタブレット機の性能
 小学校の文字数がOK(授業で扱う文字数が処理できる)
 中高では、学びに必要な文字数が多い
 (タブレット機では、中高の授業での学びに必要な文字数が処理できない)

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 をを、なるほど!
 「だから、タブレット機がノートに書きなぐるくらいのスピードで文字入力を処理できるようになったら、更に状況が変わるだろう」と、稲垣先生が申しておりました。

 そういう時代が来ますかねぇ(^^)

 処理する文字数に関して言えば、「キーボード」があります。

 そういえば、大学の授業であれば、PCをノート代わりに使っている人がいますよね。
 また、私が使用しているスマートフォンは、今は廃れてしまった『QWERTY配列』のキーボードが付いたタイプです。妻が「あんたは文字を入力する場面が多いから」と、最初からキーボード付きのスマホを探しました(^^;

 人間の思考に必要な“文字数/秒”(単位時間あたりの文字数)が処理できるくらいにICT機器が進化すれば、教育も、また私たちの身の回りの社会も、違った風景になるかもしれませんね。

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