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2009年7月26日 - 2009年8月1日の1件の記事

2009.07.31

ディベートが嫌われる土壌と、競技の現実

 議論に勝ち負けをつけることに違和感がある、と考える人は、少なくないようです。
 だからディベートが嫌いだ、と思われるケースも多いでしょう。

 実は、うちの部員の一人からも、そう言われたことがあります。

#今回全国に行く中学生ではありません。
#また、これから引退する高校3年生からでもありません。

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 実際にはディベートとは「ジャッジを説得する競技」であり、「(論題に関する)主張に同意してもらう」ジャッジが多数であれば勝利と定義する競技です。

 例えば、先日私は、仙台市長選挙において、投票してきました。
 6人の候補者のうち一人が、市長となりました。
 他の5人の候補者よりも得票数が多かったからです。(選挙ってそういうものですから、当然ですよね)

 私たち有権者は、候補者の主張に耳を傾け、市長にふさわしいと思った方に投票しているはずです。
 この「自分でふさわしいと思った」ことに従って「投票する」行為が、個々の候補者の主張に優劣=勝ち負けを付けたことになります。

 全ての提案を受け入れたり、全ての提案に自分の意見を持たないなどの極端な方はどこにもいなくて、私たちは、他人の意見に同意したり、同意しなかったりと、何かしらの判断をするものだ、ということが、ディベートという競技の要点だと、私は考えています。

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 しかも、ジャッジ等の第三者に、同意してもらうためには、前回述べたとおり、「伝えたい」という気持ちが、相当強く必要です。
 「本来議論に勝ち負けを付けるのが本意ではない」としても、です。

 それに加えて、気持ちだけでは実際にはジャッジには伝わらず、伝え方(議論の構成やプレゼンテーション)について、理解と準備を深めておく必要があります。

 つまり、この場合の要点は「選手としてディベートの試合に出場するのは何故か?」という点にあると思っています。

 仲間とチームを組んで、チームとしての主張がジャッジに同意してもらえるよう、ディベートの試合を組み立てる役割を担える心構えを持って、深く準備に取り組んできたのか?ということが問われます。個人的な考えよりも、行動が伴ったか否かがポイントです。

 もしも、チームとして、試合の準備に真摯に取り組んでいていたならば、仲間に多少のミスがあっても、挽回する方向でカバーしあうことができるでしょう。「真のチーム」と呼ぶに相応しい、羨ましい状態に思えます。

 この段階で「ジャッジに伝えることが第一。勝敗は二の次。結果は後からついてくるもの」となっているはずです。

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 しかしながら、瀧本さんがNADE会報『トライアングル』No.69で指摘した、「勝ち負けだけに注意が向いてしまい、ディベート本来の教育的価値が忘れられている『勝敗至上主義』」に陥っている中高生も、未だにいるでしょう。

 Blogの記事で取り上げられたある選手が、仲間に対して「負けたいのか?」と問いただしたそうなのですが、『勝敗至上主義』から脱却することを切に願います。

 そして、もしも「選手として然るべき行動が伴っていない」という場合であったなら、試合中ならば例えば「んで、ジャッジを説得するにはどこをどうしたらいい?」という声掛けはどうでしょうか?
 もちろん試合後に、ジャッジの講評を踏まえて、「本当はどういったスピーチが望ましかったのかなぁ?」と互いに反省することは必要だと思います。

 謙虚な姿勢があれば、『勝敗至上主義』からも脱却できるでしょうし、より「ジャッジに伝えることができる」ディベーターになれると思うのですが。

 …謙虚さが中高生には難しいのかも!

 大人の方の、大人な指導が大事ですね。
 また、観客の皆さんにも、ご理解の上、成長途上にある中高生を見守って頂けたらと思います。

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