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2006年2月19日 - 2006年2月25日の2件の記事

2006.02.23

発表されちゃったなぁ…

 もちろんディベート甲子園論題のことです。
 今年は、例年にない心境でこの日を迎えております。

#この記事は、日付的には今日の、寝る前に書いたものです。
#学校に行って帰ってきました。もうすぐ報道ステーションが始まります時間です。
#酔って書いたので、言葉足らずのところがありますので、補足修正します。
#また、リンクや文字装飾もしますね。

 何が例年にないかと言いますと、「焦っていない」「必要以上に熱くなっていない」ということです。
 いつもは「論題発表当日に図書館に行かなくちゃ」とか「部員に何をどう指示すればいいのか?」とか焦ったり、「オンラインディベートの日程を考えて告知しなくちゃ」とパソコン作業に熱中したりなどがありましたが、今年はないのです。

 水曜日に部活をする、と書いていましたが、発表日を知っている訳がなく(^^;、試験休みや講習、会議の隙間を設定すると、昨日の水曜日しか部活ができないスケジュールになっていたのでした。

 「もしかして…」と思って、火曜日の夜は無理をせず寝て、早起きして仕事をすることにしました。朝起きてみて、論題発表のメルマガが入っていて、アリナミンVを飲まずとも目が冴えました(^^;

 「動物園の廃止」ですが、2003年度東北地区共通論題として採用し、石巻市中学生ディベート大会や第2回東北ディベート交流研集会にて、試合が行なわれました。骨格的な考え方についてはゼロからのディベートに少しまとめています。またオンラインディベートにもログが残っています。教室ディベート連盟の会員の方は、トライアングルに石巻市中学生ディベート大会に関するレポートを書いていますので、探してみて下さい。
 この論題は、肯定側も否定側も、動物を思いやる中学生の優しさが感じられる試合が展開されることが多く、ジャッジをしていて“ほのぼのできる”という、めったにない、本当に中学生に相応しい論題だと思っています。
 恐らく、“人が死ぬ”という議論が弱い、という点でも、今までの論題とは差があるような気がします。(この論題で失業→自殺…では限界があると思うんですが(^^; でも、日本中の動物園にどの程度の従業員が関わっているのかは、リサーチしてみて下さい。データがあるはずです。)
 ただ恐らく、双方が“普通に”想定するメリット・デメリット対する“反駁も思いつきやすい”と思うのです。

 例えば単純に「動物が可哀想だから動物園をなくしましょう」という肯定側立論が、そう簡単に勝てなさそうなのは想像できるかと思います。ジャッジの感情に訴えてもいくら勝てません(^^;。更には、否定側から真っ当な立論が出されることも想定されますし、「動物たちは可哀想ではありません。なぜなら~」という反駁も十分に想定されます。
 そうすると肯定側は、「それでもなお、動物園を廃止する方が良い。なぜなら~」と考えざるを得ないでしょう。
 その時に議論はどんどんと、論題の本質に迫ります。2004年度の当時、私の想定以上に深い議論を展開した生徒たちを目の当たりにして「よく考えたな~」と感心させられました。特に石巻でディベートに取り組んだ中学生が、しっかりと考えて議論を繰り出してきたのは印象的でした。やっぱり「動物」というのは中学生ディベーターにとって、身近な存在としてとらえやすいものなのでしょうか。動物を思いやるのと同時に、それに関わる人々、そして最終的には私たち自身を思いやることに繋がる・・・肯定側でも否定側でも、そういった温かくも洞察の深い議論が展開できる論題です。

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 論題が発表されたことにより、昨日は結構強気な行動でした。
 日曜日には『宮城ディベート“楽しみ隊”』を、拡大バージョンとして山形で行ないます。
 ところが、来週から学年末試験が始まるため、日付的に今日から部活動は停止になります。その期間に特別に部活をする際には届けを出す必要があるのです。ただ、活動が学校ではなく山形…。
 ですがここで「全国の論題が本日発表されました。複数の学校が集まって論題の見地を深めるのは、効率的側面からも最適。他日に部活ができませんので、特別に希望者のみの参加を許して下さい」とお願いしました。結果OKです(^^)

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 放課後も無事に、全員集合で、部活をしました。例の「リサーチだけ手伝います」という生徒も来てくれました。

 「事実」と「意見」は違うということと、昨年末に行なった第3回東北ディベート交流研集会で行なったカードチェック法に関すること等を組み合わせた説明をしました。
 何故か国語教育で「事実」と「意見」の違いを明確に扱われないこと、そのままでは大学で困る(実際に私は困った)こと、アメリカでは「事実」と「意見」の違いを小学校4年生で扱っていることなど・・・そして逆算して「ディベートに必要な証拠資料とは?」という観点を示しました。比較的うまく伝わったと思います。

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 ただ今日から、先程書いたとおり部活動は停止です。

 でも今年は、「学年末試験に向けてしっかり勉強するように」と伝えました。
 実際の準備は、試験終了後からでも大丈夫だと思っています。

 自分たちがジャッジに伝えたいことをしっかりと伝えるために、よく考えて、必要なものを探す…紆余曲折があろうとも、練習試合等で勝てなくても、1日1日、着実に前進すれば、大きな目標に近づける、という思いでいます。

 ま、生徒が勉強している間、今後のスケジュールを効率的にこなせるように組む作業をしておきたいと思います。

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 そして、甲子園論題を扱ったオンラインディベートと、新年度のオフ会等の準備もして欲しいOBOG会の運営、ゴールデンウィークを予定している『第5回東北ディベート交流大会』の準備など・・・うん、もっと効率良く仕事をこなしたい!

 ・・・というこんな日の夕食は、夫婦でちょっと豪華なイタリアン。ワイン&ビールですっかり酔っぱらっております。今年度の始動を祝うかの如く、でした。

   ・・・リンクや文字装飾をせずに、一旦保存して寝ます(^^;

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 付け加えますね。「道州制」論題について。
 詳しくは別な場所で書きますが、この「道州制」論題は唯一、本校が東北予選で負けた論題です。
 その年私は、江間支部長からのお話を受けて、全国大会のジャッジをしました。
 その時の体験が、今の私のスタートになっています。

 その年に負けて、当時高校2年だった大河内君が「有志の取り組みでは勝てない。愛好会になって生徒会に加入しましょう」と、当時の大河内君の友達を集めて「ディベート愛好会」が設立されました。以降、愛好会は翌年、全国大会出場を果たし、本校では例外的に短い期間で部に昇格し、今に至ります。

 詳しくは【こちら】を御覧ください。

 またこの論題の年、当時JDAのB部門で、私は優勝を果たしているんです。自宅にはその時の盾があります。尤も、最優秀ディベーターは相方で、相方のおかげで優勝できたのだと今でも思っております。
 そこで、私が使った立論を生徒に渡したのが運の尽きでもあったのです。私の作成した否定側立論が用いられた試合は、連勝を重ねて来たのですが、最後の1回、東北予選の準決勝の時に唯一負けるのです。そして負けて初めて、立論の欠陥に気がつくのです。

 ま、負けたことによって、今のディベート部があるのですが・・・

 全国の中学生、高校生のディベーターの皆さん、自分で考えた末の議論が強い議論なんですよ(^^)

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2006.02.20

「事実」と「意見」

 AM 4:03です。
 昨日は教会の礼拝の司会でした。夫婦で昼食をとり、妻を送って、自宅に戻って…5時間ほど爆睡!週に1度くらいはこんな日がなければ体が持ちません(^^;

 1時間ほど前まで、木下是雄著『理科系の作文技術』を参考に今週の水曜日の部活で使うレジメを作っていました。 「事実」と「意見」の違いについて理解してもらうためのものです。

 そろそろ(今週…?)今年のディベート甲子園の論題が発表だと思うんです。すると、選手以外のメンバーにはリサーチ等で手伝ってもらうことになると思うので、いたずらに資料をあさるのではなく有意義なリサーチをしてもらうためにも、基本的におさえるべき点をちゃんと伝えておこうと思っているのです。

 え、そのレジメ、見たいですか? …希望者はこの発言にコメント下さい。でも、この記事で要点を出しちゃっています(^^;

 その準備をしていて、気付かされた点がありました!

 ディベートというのは、肯定側も否定側も、“意見を述べる競技”です。

 …“意見以上の正しいもの”とは、下記の段階を経て、“事実”に近づきます。

●仮説:真偽のほどはわからないがそれはテストの結果をみて判断することにして、仮に打ち出した考え)

●理論:証明になりそうな事実が相当にあるが、まだ万人にそれを容認される域には達していない仮説。(進化論、など)

●法則:全ての人が容認せざるをえないほど十分な根拠のある理論
 =>この段階では意見ではなく事実のカテゴリーに分類される。

 正しい法則を追い求めるのが『科学』だと思います。

 よって先日書いた「ディベートでは命題を検証できない」と批判している方は、そもそも“事実”と“意見”の違い…は分かっておられるのでしょうが(大学の先生ですし…)ディベートが“意見を扱う競技”だという認識がないのではないか、ということに気がつきました。

 また「事実」と「意見」の違いについて、更に丁寧に着目しましょう。

☆「事実」は2価→正しいか誤りかのどちらかしかない。
☆「意見」は多価→複数の評価が並立。人によって同意するかもしれないし、同意しないかもしれない。

 よって、ジャッジが下しているのも判断であり、「意見」です。

 先日の批判をよく見てみると、価値的命題に対して「正しい」か「間違っている」かと書いていて、つまりは「ディベートは正しいか否かによって勝敗が決する。ジャッジとは正誤の判断をする人」という誤解に基づいた批判でした。

 ここで木下是雄著『理科系の作文技術』を見ますと、「意見には次の2つがある」とあります。

Ø        sound opinion(根拠のある意見):その問題に直接に関係のある事実の正確な認識に基づいて、正しい論理にしたがって導き出された意見

Ø        unsound opinion(根拠薄弱な意見)

²       出発点の事実認識に誤りがある場合

²       事実の認識は正確でも、論理に誤りがある場合

 ディベートは、肯定側の主張(意見)と否定側の主張(意見)とを比較して、どちらが“sound opinion(根拠のある意見)”であるのかの判断(意見)が下される競技である、と理解すべきでしょう。

 ということで例の批判は、「出発点の事実認識に誤りがある場合」となりますので、それは・・・(以下自主規制)

※逆に考えると、ジャッジの判断も“意見”ですので、多価=複数の評価が存在しうるのです(多解釈)。そこで、いかに自分たちの主張が sound opinion(根拠のある意見)であると認識してもらえるスピーチをすれば良いのか…それを準備することに努力する必要があります。

追伸:Blogを作成したために、昨日、爆睡したにも関わらず再び寝不足になりそうな予感のする私って…??

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