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2005年1月23日 - 2005年1月29日の5件の記事

2005.01.28

昨日はとってもツイテいませんでした

 数年ぶりに、何故かチョットズレているというか、タイミングが人より遅いというか…そんな日でした。
 (ここには書けないくらいに他愛もないことなんですけどね(^^ゞ)

 でもまあ、お酒を飲んで、少し寝て、妻と話して、そんな日もあるよねえ、という感じになりました。


忘れないようにメモ:寝不足のときは注意する&Iさん、借りは返すよ!

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 今朝学校に来て、古いメールをチェックしたところ、うろ覚えだった「私が尊敬すべき言葉」が、ちゃんとありました。

  「“学んだ”と言う事の唯一の証左は 変わる 事である」

     学んで変わらねば。それが成長だ!

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2005.01.27

疲れて眠りに落ちる×2

 午前2時半になろうとしています。
 ず~っと起きていたのではなく、一回寝てしまって、慌てて起きているのです。

 高校3年生対象の、二次試験に向けた物理の講習をやっています。
 物理の入試問題・過去問を解かせています。
 様々な大学の問題を、しかも「早く解ける計算量の少ないもの」「国公立大学レベル」「更にハイレベル」の3つを準備し、生徒には、志望校のレベルに合わせた問題を選んでもらって解いてもらっています。

 この講習の方式は、生徒のニーズに応えるために、以前から試行錯誤を重ねてここにたどり着いているのですが、そのためには、予習が3倍必要です(^^; 高3の授業は終わりましたが正に、“教育実践、頑張っています!”
 授業がないからといって暇なわけがありません(^^;

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 おかげで、家に帰っても起きていられません(^^;

 オンラインディベートのスピーチ提出、1日遅れました。ルール上、減点です(^^ゞ
 減点も止む無しです。反駁の予稿は2200文字あって、何をどうすれば1600文字に減るのか分からない状態だったので、一日遅れてもきちんとした文章を、と思って推敲しました。
 あまり多くの方が見て下さっている訳ではないのかもしれませんが、ログが残りますので(^^;、“日本語が変”という状態では恥ずかしいですよね(^^ゞ

 相手をしてくれているT君も自分の学業で忙しいでしょうに、僕のせいで文章の提出が遅れて、しかも変な文章を後から修正させて頂いておりまして、本当に迷惑をかけてます。m(__)m

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 ということで、昨日も今日も2日連続で起きていられず、夕食後に爆睡かましている私なのでした。m(__)m

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2005.01.24

思想・宗教・言論・表現の自由

 もっと早くに書いておきたかった内容です。

--- ↓憲法より抜粋 ↓ ---
第19条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。 
第20条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。(以下略)
第21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。(以下略)
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 blogを始めたきっかけは、イクトスさんよりmixiに誘われて、というのもあるが、「アフタヌーンレクチャー~現代史を考える~」で、「やはり思想・宗教・言論・表現の自由って大事だ!」と思ったのが、大きなきっかけになっている。

 これらの国民の権利は、薄々とは「大事だ」とは、当然思っていた。

 だが、世の中には、それらの自由がない国がある・・・。
 そして、日本もまた、戦前は、そういった自由がなかった・・・。

 思想や言論の自由がない国が辿る末路は、悲しい。そういった国に生きる国民は、“人として”悲しい存在だろう。

 「アフタヌーンレクチャー」に出席していて、これらの自由も、つい最近、多くの国民が待ち望んでいて獲得し、手放してはいけない自由であることを感じた。

 当然、自由を履き違えたものもある。
 だが、これらの自由は「公共の福祉に反しない限り(憲法12条・13条)」、つまり、他人に迷惑をかけない範囲であることは明白だ。

 それでもなお、「自由である。ただし公共の福祉に反しない限り」の方がまだマシだ。
 「基本的に国の意向に反するものは許されない。ただし~~に関しては自由」などとされたら・・・(-_-;)。


 ネットワーク上では特に、国境の境がなく、言論の自由が“比較的”成立していると感じる。(対象国により様々な法の規制があることは知っています)

 だからこそ、そういった自由な世界に、公共の福祉に反していなくて、更に“自分なりに価値観を付加した”情報を発信することは、とても意義があることだと思う。

 良識ある情報ソースになりたい。


 なお、誤りがあれば修正します。
 重ねて言いますが、いつでもコメント大歓迎!
 

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定礎式・献堂式に思う

 日付的に一昨日ですが、1月22日(土)、新校舎の定礎式・献堂式がありました。

 東北学院中学高等学校は、この4月に小鶴の新校舎へ移転します。
 広く、新しい施設の校舎に最初に行ったときには「ここは誰の学校?…え、僕たちの?」と、ものすごく違和感がありましたが、定礎式・献堂式に出席して、本校の生徒たちも礼拝堂に座っていて、「いよいよ4月からここで働くんだなあ」という実感が湧きます。

 新しい校舎を使いこなして、できるだけ良い教育を展開したいです。

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 定礎式の司会は、本校の事務長でした。
 「事務長はやっぱりすごい方だなあ」と思うのでした。
 何せ、世間知らずの私ですから、定礎式に出席する、なんて経験がないのです。県知事代理や、学校建設に関わった施工企業の方々などを迎えているわけです。
 そのあたり、言い回しや、失礼のないような振る舞いなど、「僕とはちょっと違う。さすがだ」と思うのです。

 更に考えて、施工企業の方々は、いろいろな建物を建設して、その献堂式等に参加し、私達なんかよりも広い繋がりを社会に持っているんだろうなあ、とか思ったり。「住む世界が違うって事かなあ」と。

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 ちなみに、『献堂式』という言葉、僕のWX-G(日本語変換ソフト)にありませんでした。教会系の言葉ですよね。本校がキリスト教系のミッションスクールであることを、こんなことで改めて感じたりしていました。

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2005.01.23

教員は世間知らず!生徒も?みんなも?

 生徒の相談事を聞く機会があって、それに応じて僕の考えを伝えた。

 「教員は世間知らず」と良く聞く。確かにその通りだろう。
 学校という、比較的閉じられた(自己完結?周りの悪影響から守られた?)職場に行き、その中で一生懸命に働らき、授業、教育をして、家では寝る時間が長くて次の日学校に行く・・・といった感じの教員は比較的多いだろう。
 そうすると確かに、世間一般的な(=割合的に多くの)大人が体験するようなことを体験していない自分に気がつく。

 ただ、今年一年を振り返ると、「知らなくていい世間」…好奇心だけでのみ踏み込むようなことはしてはいけない世界もあるだろうに、と思う。麻薬の世界などそうであろう。「試しに使ってみたらこうだった…」なんて語れる教員もいるのかもしれないが、進んで自分がそうなる…必要はないのです(^^;
 そうすると「悪いことをあまり知らない」ことが「世間知らず」だと言うのなら、特に悪いことでもない(いやむしろ教員としてはそれで普通)とも言える。

 世間は広すぎる。裏も表もある。・・・その一部しか知らない。それが自分(&たまたま教員)。

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 生徒の話を聞くと、「もう少し視野を広くして考えてみると、別な解釈もできるのではないか?」と思われた。
 そんな時、いくら教員は世間知らずだとしても、ある程度の人生経験がある分、生徒よりも世間を知っているぞ、と感じる。
 「先生」というのは正に、先に生きていた人、だと思う。
 自分の経験や、見聞きした情報を、“分かりやすく”他人に伝える職業である。

 “分かりやすく伝えられるか否か”が、教員の質を決めるような気がする。

#ディベートというコミュニケーションのゲームで鍛えられていることは、自分にとってメリットだ。

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 世間が広いのなら、教員でなくても、どの職業でも「世間の一部しか知らない=世間知らず」のはず・・・だと思うんですけど、違いますかねえ?

 ま、「人に物を教える職業なんだから、その先のことも考えて、広く世間を知っておいたほうがいい」というのなら、その通り。

 ということで、このblogは、自分の情報発信と、多くの方からの情報提供を期待して開設しています。
 どこの部分にでも、コメント大歓迎!

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