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2005年9月18日 - 2005年9月24日の4件の記事

2005.09.22

子どものように育てる必要

 そのサイエンスカフェの最後の30分で、鈴木厚人:東北大学大学院理学研究科教授が、会場からの質疑応答に答えた中の一幕です。

 「ニュートリノの研究は、社会の何に役立つのですか?」

 (^^;

<僕の心の声>おいおい、役立たなかったら止めるってか?</僕の心の声>

 鈴木先生曰く

 「ニュートリノの研究はまだ始まったばかり。その質問はまるで、生まれたての赤ちゃんに『その子は社会の役に立つ人間になりますか?』と質問しているようなもの。仮に社会の役に立たないからといって間引きするはずがない。だから、ニュートリノの研究も、子どもに接するのと同じように、周りの人が育てる必要がある」

 上手い切り返しだ!
 そして、そに込められているメッセージは素晴らしい!

 まずは、科学の基礎研究というものは、社会に役立つor役に立たないというもので価値が決まるものではなく、他の分野を発展させる礎になるか否かが大切です。その点で、ニュートリノの研究は間違いなく価値が高い。

 そして、社会的な価値を高める可能性がある行為、それが 『 育てる 』 ですね!

 悲しいですが、人間の全員が必ずしも社会に役立つとは限りません。
 ですが、子どもは全員、社会の役に立って欲しいと願われ、愛され、見守られつつ、周りの大人に育ててもらうのです!

 科学の基礎研究を、社会があたたかく見守り育てることが大切なのだと。

 振り返ると学校には、未成年の生徒たちがいます。
 未成年の皆さんは、まだ『育てられている』立場にあります。
 そして、社会に役立つ可能性が、無限にあるわけです。

 良い方向に育って、成長して頂きたい!

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サイエンスカフェ in 仙台

 東北大学がサイエンスカフェという企画を始めています。

 「理科離れ」が叫ばれる中、最先端の内容を一般市民にわかりやすく伝える“場”として、このスタイルは良いと感じました。
 最初の30分は講演、次の30分がテーブルトーク、最後の30分が全体的な質疑応答です。

 テーブルトークがミソです。
 各テーブルには、東北大学の教員や院生、学生が一人ずつ座っていて、一般市民が4人くらい、計5~6人で一テーブル、ワンドリンク300円です。
 講演の内容に関する雑多な質疑に対し、まずはその教員と院生、学生が応じ、それでも答えられないような質問を紙に集約してスタッフが集め、その中から大事だと思われる内容を講演者が答えます。比較的効率良く、適確に会場の疑問に答えて、一般市民が学べる仕組みになっています。

 理科の教員として「うまい仕組みだ」と、まずは感じました。1998年にイギリスで始まり、ヨーロッパやアメリカで急速に普及しつつあるそうです。

 20日(火)に、ニュートリノの講演を聞いてきました。東北大学大学院理学研究科の鈴木先生の講演はわかりやすかったです。会場の雰囲気を掴んで、難しい内容を上手に説明する術を知っておられていて、「この方は頭の良い方なのだろう」と感じられました。また、テーブルトークでは、大学院生の方が私の疑問に適切に答えてくれて、難しいニュートリノの事について理解を深めることができました。

 せんだいメディアテークの1Fという空間が、そういった学びにも相応しい雰囲気をかもし出していました。

 その日は、ニュートリノに関心をもってくれた化学の先生と一緒に行きました。
 また、その日は物理の講習の予定だったのですが、「問題演習より最先端の物理の話を聞こう」と高2理系に呼びかけたところ、3人参加してくれました。高2は研修旅行で明石天文台コースを選択すると、ニュートリノの話が聞けるそうなので、その予習としては最適だったでしょう。ただ、まだ仕事とエネルギーを完全に学んでいる訳ではないので、内容が理解しにくかったかも(^^;

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 実は校長先生より、本校の理科会を経てこのサイエンスカフェのワーキンググループに加わるよう、打診がありまして、ネットを介した企画等の話し合いに参加することになっております。仕事が増える~…仕方なし。頑張ります。

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 ディベートの普及に、この形式が使えませんかね?
 こんな感じで、ドリンクでも飲みながら楽しく話を聞いて、じゃあやってみましょうという感じでディベートをやってみるとか。

 いや、それは『宮城ディベート“楽しみ隊”』などの、地域でのディベート活動に委ねるしかないのかなあ。

 一般人の垣根を下げる、ということを、ディベートの側も上手くやりたいですよね。

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2005.09.21

「勝ちたいなら責任と自覚をもってまじめにやれ」

 ディベート甲子園でいつも上位進出を果たすふじ先生が、今年のディベートの実践に付いてまとめられています。その中で、「生徒の自立が早かった。やらされている練習から,自分たちで考える取り組みが多かった」とありました。

 羨ましい!

 何せうちの部員は、この私でさえもぶち切れるくらいに、高校生とは思えないほどの全く責任感のないメンバーでしたから(T_T)

 そこで、ふじ先生の掲示板に「どうしたら自立してもらえるのか」と尋ねたところ、「試合に勝ちたいと思う気持ちを育むこと」というお返事でした。

 更に感動しました!

 ディベートは議論に勝敗の判定を下します。
 そのため度々、勝利至上主義を危惧されました。実はこの私が、第1回のディベート甲子園を紹介したテレビ番組を見て、「このままでは勝利至上主義によって議論のあり方がねじ曲げられる危険性があるなぁ」と思っていました。そのような私の意見に「ディベートに取り組んでいないくせに!」とか「ステージに立ってスピーチすることがいかに難しいか、分からないだろう!」という批判をした人もいました。ですが実際には、私が危惧した通り「勝てればなんでもあり」というダークなディベートが横行しかけたこともあったという認識でいます

 現在では全国的に見ても、「より良いディベートとは何か」が追求されて、落ち着いているとは思います。ディベーター、ジャッジ、指導者のそれぞれによって、ディベートの教育的効果が良い方向に発揮させられているものと思っています。(これについては、直接口頭で、何人かの方々にはお伝えしています)

 一方で、ふじ先生の指導(回答)は、勝利至上主義に向かうものではないと理解しております。
 では、試合に勝ちたいと思う気持ちを育むために、教員は何といえばいいのか。

 私の考える答えは下記の通りです。

勝ちたいならまじめに準備しろ!

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 これは、多岐に渡ってかなり示唆に富む結論を、ふじ先生から頂戴したと思いました。

 まあ、うちの部員達に対しては・・・曲がりなりにも全国に向けてディベートに取り組んでみて、それでも全敗&惨敗し、帰ってきてからの文化祭におけるディベートでも、現部長は元部長から「進歩が見られない」と言われ・・・別な部員達も、証拠資料を探し求めたりしませんし、ディベートの戦略をみんなで考えたりしませんし・・・その結果として、場当たり的なディベートになり、相手側に対して(今回は相手の立論を事前に頂戴していたにも関わらず…)どのように議論を重ねれば勝てるのかも自分達で見出すこともできず・・・。

 取り組みの甘さ、認識の甘さ、他人任せ、顧問任せな体質を、これから半年かけて払拭して頂かなければ話になりません。

 口では「勝ちたい」と言いながら、認識が甘ければ行動が伴わないのですよ。

 いつまでたっても良い議論ができるようになりませんよね。

 負ければ悔しいくせに。

 もしくは、負けたという現実からも逃避して、他人のせいにしたりして…

 君たちにとって、「試合に勝ちたい」って、どういうこと?どういう意味があるの?
 少しは考えたら?

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 例えば学校の生徒たちを見ると、「高校は私立だった。大学は国公立へ行きたい」という意見を持った生徒が結構多いです。

 でも、「行きたい」と思うだけ、口で言うだけでは、試験に合格は出来ません。

 ここでも「行きたいなら、必要に応じてまじめにやれ」としか言いようがありません。

 「今出来ない(=解けない)ことが卒業までという“限られた時間内”に出来るようになるのか?」という点を、避けては通れないのです。

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 現状のベガルタが、上記にと似たような状態であるなら悲しいですね。

 選手は勝ちたいんですよね。

 監督も勝ちたいと思っているんですよね。

責任と自覚を持った準備をしているんですか?
 
選手一人一人の認識が甘いから、強い気持ちが足りないから、走り負けているんじゃないんですか?

 何かを払拭しなければ向上が見られない、という状態だとすると、うちの部員達と大差ないでしょうに・・・。

 今週末、ホームで勝って3連勝してくれることを、1サポーターとして願っています。

 試合をするのは選手なんですから、サポータは頑張って欲しいと願って応援することしかできない、それだけの存在なんですけど、練習等を含めた試合までの準備とか、強い気持ちを持って試合に臨んで欲しいとか、試合中の応援の範疇を越えた部分については、監督始めスタッフに依存するしかないでしょうに。分かってよ都並さん!

 ほら、一緒ですよね。
 「試合に勝ちたい」って、どういうこと?どういう意味があるの?

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2005.09.19

高齢者からの強烈なメッセージ~反戦

 昨日教会では礼拝後、『高齢者を祝う会』が行なわれました。

 77歳以上の方が6名お祝いされたのですが、その6名の方から、「初恋の想い出」「終戦の時に真っ先に考えたこと」「~~(忘れました)」の3つのテーマから1つを選んで語ってもらう、という企画があったのですが、全員が「終戦の時に真っ先に考えたこと」を選びました。

 最初のお二人が、手短に話しをまとめ、次の一人がちょっと話題がそれつつも短くまとまったのですが、その次からのお三方が凄かった。

 「話すと長くなる」と言いながらのA先生、既に女学校を卒業されて教員をしていた頃のお話。終戦の瞬間は「心の中で『万歳!』と大声で叫んだ。でもそれを口にするとどうされるか分からない社会だった」とのこと。疎開の話や当時の人々の話が続いて長くなった頃、「時間をとって申し訳ない。でも、今会場にいる人はほとんど戦争知らないでしょ!」という一言で、全員がお話しを聞かせて頂く体制に。

 戦争の体験談を生で聞かせて頂くのは、私のように若い世代にとっては、本当に貴重です!

 次は、牧師の娘だったKさん。「『非国民』と言われて生きることがどんなに辛く、どんなに自分を小さくしていたか…」と語りました。
 終戦の瞬間に思ったことは「悔しい」と。負けたことでなく、「どうせ負けるなら、もっと早くに負けてくれれば、と。みんな辛い思いをしていたのに。」ということだそうです。
 終戦の日は家に帰って、電灯にかぶせていた幕(灯を外に洩らさないようにするもの)を取り外して部屋を明るくし、平和を喜んだそうです。でもしばらくして「Kさん、まだ部屋を明るくしちゃダメですよ」と言われて元に戻したとか。実は、8月15日から10日後くらいに、部屋を暗くしろという命令が解除になったのだとか。
 坂の上から仙台市内の街並みを眺めた時に、ぽつりぽつりと、灯が外に洩れる家が増え始めたのを見て「ああ、平和になったんだな」と、今でもその坂を上ると、その時の気持ちが甦るそうです。

 最後の方は、私が尊敬する女性のS先生。
 「8月12日。東京駅でようやく広島行きのキップを買って列車に乗りました」という出だしを聞いた段階で、その後の展開が読めました…。

 広島に近い駅から列車に乗り込んだ人が「負けた・・・」と呟いていたそうです。列車の乗客は、状況が分からず、その人をなじったりしていたそうですが、段々と「負けた・・・」と語る乗客が多く乗ってくるようになり、東京からの客も、国の状況が少しずつ分かってきたとのこと。

 広島市街の北にある駅から市街地の南側の港まで見渡せるほど、その日の広島には何もなかったということです。

 骨組みだけで、今も現存する原爆ドームも、骨組みだけになった電車も、その日、見ながら歩いていたそうです。驚くべきことに、S先生の御実家は、爆心地からほど遠くないところにあったとか。
 で、道も何も破壊されているところを、「恐らくこっちの方向だろう」と思いながら、でも「どっちですか?」と聞ける人が誰もいない中を・・・おびただしい数の死体が横たわる中を、失礼と思いながらその死体をまたがせてもらいつつ、歩いたそうです。
 真っ白い白骨が、横たわっていたそうです。後から聞くと、完全に健康な人が焼かれると、あのような真っ白い白骨になるのだとか。
 広島市街を流れる川にも、おびただしい数の死体が浮いていたとか。

 で、その爆心地に近い御実家に、被曝特有の症状…“黒い雨”で髪が抜け落ちたり、皮膚がふくれたりしていつつも、お姉様が横たわって、生きておられたそうです。

 弟が臨終間際だという電報が届いても、学徒であり、後輩達を守る責任のある立場にいるために「敵機は今も上空を飛んでいるんだぞ」と先生に叱られて、行ってやれなかったこと…
 軍需向上で働いていて、金属の切り屑が目に入り、手術をしたこと…
 学徒出陣で神宮球場に集められたことなど…

 ・・・終戦の瞬間は、全てを思い出しながら、被曝した広島の街を歩いたそうです。

 それを踏まえてS先生は「疑問におもったことに『なぜ?』と、自分の口で自由に意見が述べられる日本である必要性」について、強く語られたのでした。

 その娘さんが「母は今でも、その死体があった川を電車で渡ると、涙がこぼれる。それは、広島に住む別な方でもそういうことがある、と聞く」と言っていました。

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 会の司会の方が「このような貴重な話をして下さっているのに、時間で区切ってしまうことを申し訳なく思う。ゴメンナサイ。別な機会に、戦争体験についてお話を聞かせてもらう場を設けてもらうように(担当の方)お願いします」と話しました。

 会はその、S先生の娘さんが、素晴らしい歌声を聞かせてくれて和やかに終わったのです。

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 私は今年、高校2年の理系の担任として、研修旅行で広島に行きます。
 既に原爆記念館は見学したことがあるのですが、改めて、心して学んできたいと思います。

#なお、原爆記念館を見学したのは、我がチームがJ1の時のバスツアーの時であり、午後からの試合のところ午前中に見学したことは伏せておく。
 更にその試合は、我がチームの人気FWだった藤吉信次が劇的にVゴールを挙げて、広島をJ2に降格させる(1年でJ1復帰)きっかけになった試合でもあったことを言いたい衝動に、私はかられているのだが、この場の空気を読めばそれは言わない方が良いと判断される…。

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