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2005.09.19

高齢者からの強烈なメッセージ~反戦

 昨日教会では礼拝後、『高齢者を祝う会』が行なわれました。

 77歳以上の方が6名お祝いされたのですが、その6名の方から、「初恋の想い出」「終戦の時に真っ先に考えたこと」「~~(忘れました)」の3つのテーマから1つを選んで語ってもらう、という企画があったのですが、全員が「終戦の時に真っ先に考えたこと」を選びました。

 最初のお二人が、手短に話しをまとめ、次の一人がちょっと話題がそれつつも短くまとまったのですが、その次からのお三方が凄かった。

 「話すと長くなる」と言いながらのA先生、既に女学校を卒業されて教員をしていた頃のお話。終戦の瞬間は「心の中で『万歳!』と大声で叫んだ。でもそれを口にするとどうされるか分からない社会だった」とのこと。疎開の話や当時の人々の話が続いて長くなった頃、「時間をとって申し訳ない。でも、今会場にいる人はほとんど戦争知らないでしょ!」という一言で、全員がお話しを聞かせて頂く体制に。

 戦争の体験談を生で聞かせて頂くのは、私のように若い世代にとっては、本当に貴重です!

 次は、牧師の娘だったKさん。「『非国民』と言われて生きることがどんなに辛く、どんなに自分を小さくしていたか…」と語りました。
 終戦の瞬間に思ったことは「悔しい」と。負けたことでなく、「どうせ負けるなら、もっと早くに負けてくれれば、と。みんな辛い思いをしていたのに。」ということだそうです。
 終戦の日は家に帰って、電灯にかぶせていた幕(灯を外に洩らさないようにするもの)を取り外して部屋を明るくし、平和を喜んだそうです。でもしばらくして「Kさん、まだ部屋を明るくしちゃダメですよ」と言われて元に戻したとか。実は、8月15日から10日後くらいに、部屋を暗くしろという命令が解除になったのだとか。
 坂の上から仙台市内の街並みを眺めた時に、ぽつりぽつりと、灯が外に洩れる家が増え始めたのを見て「ああ、平和になったんだな」と、今でもその坂を上ると、その時の気持ちが甦るそうです。

 最後の方は、私が尊敬する女性のS先生。
 「8月12日。東京駅でようやく広島行きのキップを買って列車に乗りました」という出だしを聞いた段階で、その後の展開が読めました…。

 広島に近い駅から列車に乗り込んだ人が「負けた・・・」と呟いていたそうです。列車の乗客は、状況が分からず、その人をなじったりしていたそうですが、段々と「負けた・・・」と語る乗客が多く乗ってくるようになり、東京からの客も、国の状況が少しずつ分かってきたとのこと。

 広島市街の北にある駅から市街地の南側の港まで見渡せるほど、その日の広島には何もなかったということです。

 骨組みだけで、今も現存する原爆ドームも、骨組みだけになった電車も、その日、見ながら歩いていたそうです。驚くべきことに、S先生の御実家は、爆心地からほど遠くないところにあったとか。
 で、道も何も破壊されているところを、「恐らくこっちの方向だろう」と思いながら、でも「どっちですか?」と聞ける人が誰もいない中を・・・おびただしい数の死体が横たわる中を、失礼と思いながらその死体をまたがせてもらいつつ、歩いたそうです。
 真っ白い白骨が、横たわっていたそうです。後から聞くと、完全に健康な人が焼かれると、あのような真っ白い白骨になるのだとか。
 広島市街を流れる川にも、おびただしい数の死体が浮いていたとか。

 で、その爆心地に近い御実家に、被曝特有の症状…“黒い雨”で髪が抜け落ちたり、皮膚がふくれたりしていつつも、お姉様が横たわって、生きておられたそうです。

 弟が臨終間際だという電報が届いても、学徒であり、後輩達を守る責任のある立場にいるために「敵機は今も上空を飛んでいるんだぞ」と先生に叱られて、行ってやれなかったこと…
 軍需向上で働いていて、金属の切り屑が目に入り、手術をしたこと…
 学徒出陣で神宮球場に集められたことなど…

 ・・・終戦の瞬間は、全てを思い出しながら、被曝した広島の街を歩いたそうです。

 それを踏まえてS先生は「疑問におもったことに『なぜ?』と、自分の口で自由に意見が述べられる日本である必要性」について、強く語られたのでした。

 その娘さんが「母は今でも、その死体があった川を電車で渡ると、涙がこぼれる。それは、広島に住む別な方でもそういうことがある、と聞く」と言っていました。

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 会の司会の方が「このような貴重な話をして下さっているのに、時間で区切ってしまうことを申し訳なく思う。ゴメンナサイ。別な機会に、戦争体験についてお話を聞かせてもらう場を設けてもらうように(担当の方)お願いします」と話しました。

 会はその、S先生の娘さんが、素晴らしい歌声を聞かせてくれて和やかに終わったのです。

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 私は今年、高校2年の理系の担任として、研修旅行で広島に行きます。
 既に原爆記念館は見学したことがあるのですが、改めて、心して学んできたいと思います。

#なお、原爆記念館を見学したのは、我がチームがJ1の時のバスツアーの時であり、午後からの試合のところ午前中に見学したことは伏せておく。
 更にその試合は、我がチームの人気FWだった藤吉信次が劇的にVゴールを挙げて、広島をJ2に降格させる(1年でJ1復帰)きっかけになった試合でもあったことを言いたい衝動に、私はかられているのだが、この場の空気を読めばそれは言わない方が良いと判断される…。

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コメント

 戦時中にディベートをやっていたら、「お前
は非国民だ!」と憲兵に捕まっていたでしょ
う。そう思うと、今は自由な時代と言えるで
しょう。

投稿: 転機 | 2005.09.20 15:31

 転機さん、コメントありがとうございます。
 三浦綾子の『銃口』では、戦時中に起きた「北海道綴方(つづりかた)教育連盟事件」が取り上げられています。
 ディベートどころか、小論文指導や総合的な学習すらダメかもしれませんよ(^^;。
 そんな世の中が繰り返されないように、世の中を見通せる感性を常に磨いていたいです。
 ディベートはそれに役立っていると思っています。

投稿: NAKO-P | 2005.09.21 03:14

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