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2005.01.30

丁寧に問いを詰める

 東北学院中高では、毎朝、中学1年生から高校3年生まで、6学年全員が礼拝堂に集い、礼拝を守ります。
 違う形態の時期もあったと聞きますが、今では“毎日・全員で”が伝統です。
(これをしているのはミッションスクールの中でも少ない方、かな?)

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 数ヶ月に1回、私に、礼拝司会(証しも行なう)が回ってきます。
 1月15日(土)センター試験の日に、ヨハネ7:10-24の箇所を担当することになりました。(本校では聖書を通読していて、どこの聖書の箇所を担当するかを、司会が決めることができません)

 聖書を読んだことのある方はご存じだと思いますが、ヨハネの福音書を証しするのは難しい(^^;
 そこで、本校の聖書科の先生が持っていた、加藤常昭著『ヨハネによる福音書 講解説教2』(ヨルダン社)を参考に証しを考えました。

 ヨハネ7:10-24は、イエスとユダヤ人が議論するところです。仮庵祭(かりいおさい)といって「エジプトから脱出したばかりで現在は借り住まい(テント等)ではあるが、今後もエジプトから民全体を救って下さった力ある神に心を委ねる」ことを記念するお祭りであるにも関わらず、その救われたユダヤ人は、イエスを殺そうと狙っているのです。

 イエスは「私は神から遣わされた。神を信じるなら私を信じるはず」と主張します。
 ユダヤ人は「あなた(イエス)は群集を惑わしている」「あなたは悪霊にとりつかれている」と主張します。
 ・・・かみ合っていません(^^; 特にユダヤ人は「理解出来ない→悪霊だ」と、根拠なく断定するもので、誉められたものではありません(^^;

 イエスは問います。「なぜ私を殺そうとするのか(19節)」
 ユダヤ人は「誰があなたを殺そういうのか」とごまかしますが・・・『ヨハネによる福音書 講解説教2』には「この箇所にユダヤ人がイエスを殺そうとした理由がある」と説きます。

 簡単です。「ユダヤ人はイエスに腹が立った(23節)ので、殺そうとした」という解釈です。

 腹が立ったから、殺す・・・なんとまあ、今でも繰り返されている構図です。
 人間個人の狭い視野の中だけの判断で、人は他人を殺すのですね。2000年前も今も。

 「理解できないものは排除すべし」では、いつまでたっても「神の愛には達しないのは明らかです!」

 イエスの「なぜ、私を殺そうとするのか」という問いは、私達人間全体に問われていることに気付かされます。

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 議論が嫌いという人や、議論を避けて通る人、議論がうまくできない人、いろいろいるでしょう。

 証しの準備の時、『ヨハネによる福音書 講解説教2』のある箇所に目がとまりました。

「(結局ユダヤ人はイエスを十字架の上で殺すに至ることを踏まえて)なぜ、誰が、神の愛を殺したのか、丁寧に問いを詰めることによって初めて、神に愛されていることの深さと強さを知るのです。」

 をを、なんとまあ!

 高校生くらいからでしょうか。たまに真剣に「神様っているんだろうか」とか、考えていました。

 いやあ、今、ディベート部の顧問です。
 確かに、論題に関して、深く問いを詰めることによって、大切な“価値”に気付くことがあります。自分の学びが深まる瞬間があります。


  “丁寧に問いを詰める”ことが、かくも大事なのだと、教えられました。
  御言葉を与えられたことに感謝!アーメン。

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コメント

今日の礼拝説教は「人の子の神秘」ヨハネの福音書12章32節から43節でした。
ずーっとヨハネの福音書を読んでます。でも、頭に入るようになったのは今年に入ってからかなあ。
「イエス様は誰ですか?」という問いに、自分のことばで、自分にとってどのような存在かを答えることが必要だというメッセージでした。
「丁寧に問いを詰める」という所と響き合うのではないかなと思いました。

投稿: 筑田周一 | 2005.01.30 13:00

 筑田さん、コメントありがとうございます。
 結構コメントが付かないので淋しいです(^^ゞ
#徐々にこのページの存在が広まることを期待して。

>「イエス様は誰ですか?」という問いに、自分のことばで、自分にとってどのような存在かを答えることが必要だというメッセージでした。

 はい、小さい頃から、上記のことを何度も聞いております。信仰の基礎であり、そこから信仰告白に至りますよね。

 ただ、今の私は、「答えを言葉にするのは難しい」ということに加えて、「でも、長く生きていると『やっぱり神様っているよなあ』と実感できる瞬間ってあるよね!」と思っています。

 ↑このような答えに至っているということでしょうか(^^;

>「丁寧に問いを詰める」という所と響き合うのではないかなと思いました。

 はい、まずは、丁寧に問う姿勢が大事なのだと。

 答えを「求めなさい。そうすれば与えられる」のかもしれません。

 またコメント下さい。では(^^)/

投稿: NAKO-P | 2005.02.01 12:54

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